子どもたちよ おまえたちは何を欲しがらないでも 凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり 譲られるものは
絶えません 輝ける大都会も そっくり お前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も みんなお前たちの手に受け取るのです 幸福なる子どもたちよ お前たちの手はまだ小さいけれど---。
世のお父さん、お母さんたちは何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲っていために いのちあるもの、よいもの、美しいものを、 一生懸命に造っています。
(河井酔茗の詩集「花鎮抄」の詩 「ゆづりの葉」より)
この詩が発表されてから、すでに80年ほどの歳月が流れました。この詩集が出されたのは第二次世界大戦直後でした。
河井酔茗は、戦争で荒れ果てた国土を目の当たりにしながらも、なお世代から世代へ引き渡していけるものがあるのだよ、と戦後復興の困難に立ち向かう人々を勇気づけたのでした。
その後、日本社会は、高度経済成長を成し遂げ、ばく大な富を生みだし、目を見張るような経済的・文化的発展を築き上げました。
しかしいまや、その発展は風船がはじけるように終わり、気がつけば、人々は少子高齢化社会の進行に気づき、児童虐待や学力低下、不登校の問題、さらには不安定就労・貧困の問題など、地球温暖化など繁栄が引き潮に向かう不安を感じています。
明るさ・楽しさを競う高度消費社会の影の部分ばかりが目立つようになりました。
そのうえ、ここ数年、わが国は追い打ちをかけるような大規模な自然災害、感染症の拡大に見舞われています。
そこで問いたいのです。いまいったい私たちはいま、子どもたちに何を引き継ぐことができるのでしょうか。
それは自分のまわりの自然やもの、さらにいのちに感謝し、人と人がつながりあい、かかわり合うことのすばらしさを子どもたちが引き継いでくれるということに尽きるのではないでしょうか。
そのためには、人の幸せは経済の発展・拡大だけでは得られるものではないという当たり前のことを、誰もが今一度思い出す必要があるでしょう。
そして何よりもおとな自身が他者と豊かにかかわりあい、つながりあいながら生きていく人生のデザインを示し、毎日を楽しみながら過ごしていきたいものです。
楽しみ・喜びだけでなく、苦しさ・つらさもすべて丸抱えで、家庭では親が、学校では教職員が子どもたちに語ります。
「こんなよいこと・うれしいことが今日あった」、「こんなしんどいこともあったけれど・・・、いまは考え直して、こう思っている」とありのままを語ったりします。
それを聞くと、子どもたちは自分の将来に夢を描き、希望をもつ(「生きていたら何かおもしろそうだ」と感じる)ことができると思うのです。なぜなら子どもは大人の生き方から学ぶからです。
太陽や月のように人を照らし(月)、
鳥のように、飛んでいき歌い(鳥)、
花のように笑う(花)、
風のように流れていき(風)、
人に寄り添う。
そのような「花鳥風月」の生き方が、子どもたちに、はるか彼方の自分の将来を開くカギをゆずっていくことになるのです。