私の子どものころの日本は高度経済成長期でしたが、私は田舎に住んでいて家にあまり物がありませんでした。
ただ、父が学校の先生でしたので、本や図鑑などはたくさんありました。
しかし、大阪府と言っても、山間部での日々の暮らしは質素なもので、幼少の頃は洗濯機もなく、たらいと洗濯物をもった母に連れられ、家の前の小川で洗濯をしていました。
夏の夜には、クーラーなどもちろんないので、部屋に蚊帳を吊るし、戸は全開にして眠りにつきました。
ときには蚊帳の中で採ってきたホタルを放し、蛍の光を見ながら寝ました。
今とちがい、けっこう涼しかったのが思い出になっています。
ただ、私はそれを、「足りない」とは思いませんでした。
私には、ものがなくても、頭の中は自由で、可能性に満ちているように思えました。
わたしはそんな子ども時代を過ごせたことに、一片の後悔もありません。
私のように特別な能力がなくても、自分の存在を信じて、教職というほんとうに好きな道を歩み続ければ、人生がほんの少し輝くこともあります。
好きな道なら、くじけても、くじけても、立ち上がることができます。
私たちにとって大切なのは、どんなときも自分の光を信じることでしょう。
キラキラ、煌々と輝くのではない。
少し輝くだけで十分だと思います。