
とくに中学生までは、場合によっては高校でも、子どもの集団の特徴はふつう同質的です。ですから内部では同調圧力が強くはたらきやすいのです。
自分だけちがうということが、集団の中で際立ちやすいのです。
そこで、「みんな」とちがっていることを理由に、排除しようとする言動がいじめにつながることもあります。
ですから、子どもには「みんなと同じでいたい」という思いが強くはたらき、他とちがっていることを、子どもは極度におそれるれるようになりやすいのです。
ところが、心の中では一方で、「わたしはあの子とはちがう。あんな子のようにはなりたくない」とも思うのです。
そのように10代は「自分がどういう人間になるのか」を考えるのに一生懸命になる時期です。
そのとき他人を見て、他人を否定することで、なりたい自分を探そうとします。
ただし、ほんとうは人というものは他人から見えるのはほんの一部分・一面だけなのですが、それに気がつかないのです。
しかし、大学生にもなると、ようすがかわってきます。
学生がさまざまな地域からやってきて、いろいろな環境で過ごしてきた人が集まり、集団は多様性がふつうになってきます。
この段階になり、悩んでいた子は、同質性という呪縛からやっと解放されることになります。
以上の点から、「あの人とわたしはちがう」と決めつけることなく、幅広い見方ができるようになるのが10代の成長の課題です。
だれもが多かれ少なかれ生きづらさを抱える時期なので、狭い人の見方やものの見方でなく、幅広い見方を得ることで、次第に生きづらさを抜け出していけます。
とくに中学生の時期は、今いるここだけが人生のすべてだと思ってしまいがちです。
が、じつはそうではなくて、人生のほんの一部に過ぎないのです。
だから早まった行為に走るのではなく、その先に自分の人生はあり、生きる場所はあるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます