わたしの小学生の頃は、電車の切符は紙製であり、改札口を通るときに駅員さんが、パンチのようなもので穴を開けてくれました。
このドア近くにいつも立って
窓の外 見ながら 夢を語ってたね
叶わないことを知ってたのに
私は何度もただ頷いてた
何もない毎日が
幸せに思えた二年前 Ah
走り去って行く風景は
何もあの頃と変わってないのに
愛を知らぬ間に通過して
切なくなって来た阪急電車
それが、その駅から乗車したという証明がわりで、降りる駅では駅員さんが回収してくれ、改札口を通ることができました。
そして、小学校の高学年のころには、自動改札が登場しました。
この自動改札機は、関西の私鉄・阪急電車が世界で初めて導入しました。
切符も磁気を付け、裏側が茶色になりました。
阪急電車千里線終点の「北千里」駅は、高度経済成長時代の1967年に、千里ニュータウンの玄関口として開業しました。
その開業と同時に、自動改札機が世界で初めて設置されたのでした。
初めて自動改札を通るときには、おそるおそる切符を入れると、サッと引き込み、同時にゲートが開き、穴を開けた切符が出てきました。
当時は画期帯でした。
阪急電車の開業は1910年ですが、現在にいたるまでずっと「マルーン」の色を使っています。
わたしは、小学生の時は親に連れられ阪急電車、高校・大学生では通学で、そして今も通勤に阪急電車に乗ります。
人には、それぞれ阪急電車での思い出や人生のストーリーをもつでしょう。
その名もズバリ「阪急電車」という曲があります。
作詞:秋元康
作曲:中山英二
作曲:中山英二
このドア近くにいつも立って
窓の外 見ながら 夢を語ってたね
叶わないことを知ってたのに
私は何度もただ頷いてた
何もない毎日が
幸せに思えた二年前 Ah
走り去って行く風景は
何もあの頃と変わってないのに
愛を知らぬ間に通過して
切なくなって来た阪急電車
(歌:NMB48)
車窓から見える景色に想いを馳せる人がいます。
それぞれの想いを乗せ、今日も阪急電車は走ります。
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