私の子どもの頃の話です。
実家にほど近い妙見山という山に登ると山頂の開運北辰妙見山大菩薩がおまつりしてあるお堂に行きつく沿道に傷痍軍人の人たちが集まっておられました。
義足や義手をつけて太鼓を叩いて、わずかながらの浄財を手にしておられました。
わたしは子どもの頃見たその光景が鮮烈に脳裏に焼き付いて、今でもはっきりと思い出すことができます。
当時は、このような傷痍軍人を他の場所でもよく見かけました。
彼らは、第二次世界大戦で軍人だった人で、太平洋戦争中に戦地で攻撃され、障害者となり生き延びた人たちだったのです。
その後、私は教師になり、中学生に平和教育をするようになりましたが、戦争を知らない私にとっては、その傷痍軍人の姿がわたしの平和教育の源泉だったと、今思います。
彼らこそが、当時の子どもたちに対する、実体験に基づく平和教育の実践者だったのかもしれません。
今では、学校の教師は戦争を知らない世代です。
その教育現場にあっては、戦争に至った過去の経緯、それにストップをかけれなかったのはなぜかなどを議論し、生徒とともに教師も考えることが、平和教育には大切なことになるのだと考えます。
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