
思春期は、子どもの気持ちが揺れ動く時期です。
その揺れを表面に出す子もいれば、出さない子もいますが、思春期の子どもの気持ちは多かれ少なかれ揺れるのは真実です。
表面に出す子の場合は、それが情緒の不安定、生活上の問題、友だち関係のもめごと、進路についての悩み、不登校、いじめなどの問題となって表出します。
このような問題に対して、親をはじめとするおとながあたふたして、動揺することが少なくありません。
子どもによっては、親が「いままであんなに素直な、やりやすい子だったのに、どうしたの、この変わりようは。これは困った問題だ」と感じてしまうこともあります。
しかし、よく考えてみると、問題は問題だと思う人がいるから問題になるのです。「いま、この子は機嫌が悪く何も話さないけど、そのような時期もあるよね」と思うと、問題は問題でなくなります。
同様に、「勉強をしないのはよくない」、「こんな成績ではダメ」と親が感じていると、子どもが少しも机に向かわないことが問題になるのです。
「勉強は少々苦手でも、うちの子は人に親切で、家族思いだからそれがなによりね。勉強はできるにこしたことはないけど、それよりも大事なものをもってるよね」と感じるならば、勉強しない、勉強できないことは、それほど大きな問題になりません。
私の経験からも、不登校の子も同様だと思います。「この子を何とか学校に行かさなければ・・・」と思っている親にとってみれば、わが子が学校へ行かないことは問題になります。
でも、「いまは、学校に行かなくてもいい。充電期間よね。また行こうという気になるかもしれないし、そのときまで待つしかないわ」と親が思うと、子どもの不登校は、親にとっての問題ではなくなります。
実際、「いまは学校に行かなくてもいいよ、と母親が言うようになったとき、ボクの気持ちはすごく楽になった」と不登校だった中学時代をふりかえっていた子がいます。
(その生徒は中1から休みだしましたが、まわりからのさまざまな働きかけがあり、3年生から登校できるようになりました。)
つまり、子どもにまつわる心配事や問題というものは、目の前で起きていることが何なのかではなく、おとなが起きていることをどのようにとらえ、理解するかによってきまることが多いのです。
「問題」はそれが問題だと思うと問題になるのです。
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