前回までの3回のブログで、今の日本社会では伝統的な村落共同体的な人間関係の絆ではなく、「ゆるやかな人間関係」を望む人が多いことを書きました。
そもそも「絆」とは、平安時代には「ほだし」と呼ばれ、牛や馬が逃げないようにつなぎとめておく縄のことでした。
読んで字のごとく、「絆」という漢字の右側は「牛」を表します。
ここからわかるように、絆はいい言葉の響きをもっていますが、必然的に人を縛るという意味を持っています。
わたしのすむ地域は大阪府の中でも山間にあり、田園風景が広がっており、今でも自治会の下部組織として「となり組」があります。
しかし、それでもいまは回覧板をまわしたり、年に1回共同で道路清掃をするぐらいの活動にとどまっています。
昔のように、組のなかのだれかが亡くなると、となり組の人が総動員で葬式を取り仕切ったり、料理をつくったりはしません。家族葬がほとんどで、式への参列もしなくなりました。
このような生活体験をもとに、「ゆるやかな人間関係」を書いていました。
その念頭には、日本の伝統的村落共同体は姿を消したという思い込みがありました。
しかし、そうでないことも新聞記事であらたにわかりました。
以下、新聞記事からです。
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福井県に池田町という町があります。最近田舎暮らしを志向する人が都会から移住してきます。
その町が出している広報誌が、いま物議を読んでいます。
移住者に向けた「池田暮らしの七か条」が広報誌に載っています。
抜粋すると
第1条:集落の一員であること、池田町民であることを自覚してください。
第2条:参加、出役を求められる地域行事の多さとともに、都市にはなかった面倒さの存在を自覚し協力してください。
第4条:今までの自己価値観を押し付けないこと。また都会暮らしを地域におし付けないよう心掛けてください。
■これまでの都市暮らしと違うからといって都会風を吹かさないよう心掛けてください。
第5条:プライバシーが無いと感じるお節介があること、また多くの人々の注目と品定めがなされていることを自覚してください。
■共同体の中に初顔の方が入ってくれば不安に感じるものであり「どんな人か、何をする人か、どうして池田に」と品定めされることは自然です。
この七か条は「町の風土や人々に好感を持って移り住んでくれる方々のための心得」であると町は説明されています。
一方、移住してきた人びとの中では、「この文面が町の公式文章として出ていることを問題だと思う」としています。「移住者を拒否しているようにもみえる」と指摘する人もいます。
(以上、毎日新聞2月14日朝刊の記事より)」
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この七か条の文面は区長会が決めたものなので、町としては修正する予定はないそうです。(区長とは各自治会の代表者のこと。そもそも自治会は地域住民の自治組織)
わたしは、この七か条の是非について考えを述べるつもりはありません。またそのような立場でもありません。
ただ、地域での強い、ある意味で人をしばる絆の人間関係はなくなってしまったのではなく、まだ残っていて、残そうとあたためている地域もあるという事実を知りました。
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