日本ではたぶん1990年代の途中頃からだったと思いますが、「自分さがし」「自分らしく」という言葉がよく使われるようになりました。
自分はもともと特別なOnly oneの存在であり、人生は自分さがしの旅であるとも言われてきました。
その考えとともに、SMAPの「世界に一つだけの花」が、多くの人びとから圧倒的な支持を得たのでした。
この時代の変わり目は、おそらく昭和時代の「みんなで手をとりあってがんばっていこう」という集団に価値を置く考え方から、個を尊重する価値観に変化してきた頃と合致しています。
かと言って、個を尊重するから他者との協力や協調は否定するという流れではなかったのです。
そして、個を自立させながら、お互いにつながり、共生していくという価値観が現在の考え方や行動規範の価値観となっています。
しかし、わたしはあまり「自分さがし」や「自分らしさ」にこだわらなくてもいいのではないかと考えています。
周りに埋没せず、自分を浮き立たせようとすれば、自分らしさは必然的に他者との比較をすることになるからです。
その時点で、もう本来の自分らしさから離れてしまっているのです。
何をしていたら自分なのか、何をしていたら自分ではないのか。
そのように考え出すときりがないのです。
いまの自分とはちがう自分がどこかにあるはず。
誰も知らない本当の自分がどこかに眠っているので、それを引き出せば悩みが吹き飛ぶ。
もうそういう30年来の考えは、そろそろやめにしたほうがいいと思います。
自分さがしや自分らしさが、必然的に他者との比較を生むのであれば、さがすべきは自分がおもしろいとか楽しいとか気持ちが良いと感じることができる人間関係や環境です。
自分らしさとは、周りの世界とかかわるときに現れる変化する自分です。
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