「青春」という言葉が一般化したのは、夏目漱石の『三四郎』に、この言葉が登場した頃と言われているようです。
『三四郎』に「考えるには、青春の血が、あまりにも若すぎる』という表現がありました。
「青春」とは、おもに青年期のころと考えられますので、社会人になったり、結婚したりしている人は、青春の時期が終わっていると考えるのがふつうです。
その点で、長い人生から見れば、青春は一瞬といっていいほどです。
私の場合、中学生までは大阪の緑深い所で、高校時代は箕面市で、大学時代は神戸市で、青春の時期を過ごしました。
日本が高度経済成長をとげ、バブル期に向かう時期が学生時代と重なりました。
物質的には、たいへん豊かな、勢いのある時代でした。
商品は種類が豊富になり、街に溢れ出したころでした。
学生が毛皮のコートを着て、外国ブランドのバッグを持ちはじめた頃でした。
お洒落なカフェバーができました。
今思い出して、私の青春時代は一瞬のきらめきだったかもしれません。
しかし、それを留めて、今このように回顧して後世に伝えることで、青春は永遠に色あせない輝きを放つのです。
また、仕事柄、つねに若い中学生のいる所に身を置いていたこともあるでしょう。
若いティーンエイジャーの子に向かいあうと、自分がエネルギーを吸い込み、蓄えます。
全校朝礼で、500名ほどの生徒に対面すると、自分が賦活されるのを自覚しました。
私の青春時代は、今も続いています。
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