責任と格差社会が進行する今、「親ガチャ」という考えが、最近よく言われます。
子どもは親を選ぶことができない。生まれた家庭環境により、その子の人生が決まってしまう。
何が出てくるかは、自分で選べないというガチャポンになぞらえた言葉です。
それは「環境決定論」をもとにしています。
それに対する反論も、対極から言われることがあります。
何を親のせいにしているのだ。自分の努力が大切だ。自分が努力すれば人生は変えることができる。
こちらは、「自己責任論」とでも言えるでしょう。
この二つのどちらにつくかでは、極端すぎます。
ものごとは、なんでもそうスッキリと分けることができないことが多いものです。
かりに自分の人生がたとえ生まれてきた環境によって決まっているとしても、自分が自分である責任は自分にあるのだから、人生を自分のものとして引き受けていく。
そのように、中庸で、ポジティブな考え方をするから、その人らしい人生が色濃くつくられていくのだと、わたしは考えます。
しかしながら、それは中庸と言いながら、結局は本人の努力を求めるという点で自己責任論でないのかというそしりを受けるかもしれません。
しかし、それにはあたりません。
責任を果たすとか、責任を引き受ける人生というのは、他者にたよらないということではないからです。
困ったとき、苦境にあるときには、「助けて」と、他者に助けを求める人間関係を維持して、自分が自分である責任を引き受けるのです。
わたしは生徒たちに、そのことを「自立」という言葉でまとめ、中学生の時期はは自立に近づくことが目標であると伝えてきました。
ひらたく言えば、自立とは何でも自分ですることではないのです。困ったときには人に頼り、「助けて」と言える豊かな人間関係を築くことが、ほんとうの自立です。
そう言ってきました。
親ガチャでも、自分の努力が足りないのでもない、人は他者にたよりながら、自分が存在することの責任を果たすのです。
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