緊急事態宣言は多くの県で解除されました。大阪府も明日解除になる見通しです。
緊急事態宣言発令中の間に、経済は止まりました。
それにより経営がたいへん困難になったケースが多数報道されています。
たいへんな思いをして過ごした人の困難さを思うと、ほんとうに「激震が走った3か月」だったと思います。
ただ、私は個人的には、ここ数年のインバウンド需要をあてにして規模を広げてきた業界の動向については、もし外国人や外国からの旅行者が何らかの理由で来なくなれば大きな打撃を受けるのではないかと危惧していました。
新型コロナウイルスは、今回、私たちの経済や社会を大きく揺さぶり、大きな変化をもたらしました。
五木寛之さんが、その著書『下山の思想』のなかで述べられていたことを紹介します。
日本は戦後ずっと経済成長を追い求めてきました。
しかし、がむしゃらに山を登る成長経済はいつまでも続くのではなく、もう時代は山を下りる時期にさしかかっている。
下山するといえば、マイナスのイメージをもつ人もいるかもしれないが、山を下りるというのは「成長」を求めるのでなく「成熟」の時代である。
山を下りるときには、がむしゃらに登山してきた時には気がつかなかった足元に咲く美しい高山植物を鑑賞する余裕が生まれる。ゆっくりと観ることもなかったはるかかなたに光り輝く海を眺めて感心する。
したがって、下山はけっしてマイナスでない。時代は成熟の時代に向かっている。
このような思想をバブルがはじけたあとの「失われた30年」と言われていたころ、9年ほど前に書かれていました。
五木寛之さんの言葉は、新型コロナウイルスが収束した後に、ますます色づいてくると、私は思います。
ともあれ、常に成長し続けよと拍車をかけられ、成長を追い求めてきたが、感染防止のため、ふとみんなで足を止めてみた。
するとワーク・ライフ・バランスなんて無理と思っていたが、そうでもないことがわかりました。
テレワークやリモート座談会などが一挙に進みました。
新型コロナウイルス収束後も、オンライン授業がもっと普及していくでしょう。ネット投票も実現していくかもしれません。
オンライン授業はネット環境や端末を整備することで、どの人も利用できる環境さえ整えば、どこに住んでいても公平に授業を受けるなど、住む地域による教育格差を是正するという新しい可能性を開いてくれます。
このように、今回私たちは「成長神話」の呪縛から逃れることを学んだのです。
ほんとうに大きな経験と激変でしたが、一方で「これだけは譲れないということ」も明らかになりました。
それは、人と人が会うことです。学校教育のなかでは、児童生徒同士、教師と児童生徒が出会う人間的なふれあいで、人格を形成していきます。
演劇やライブ、コンサート、スポーツの試合などは、いま無観客でライブ配信を行っていますが、観客あってこそのイベントです。
以前に、鹿島アントラーズがサポーターの掲げた「JAPANESE ONLY」の横幕の制裁で無観客試合を行いました。
選手からは、「わたしたちは観客の声援に突き動かされて、ふだん試合をしているのがよくわかった」、「臨場感がないというか、力の入れようがないというか、サポーターの声援を受け、選手やチームに張り合いが出てくる」などの感想が出ました。
このように、新型コロナウイルスは、人と人が出会い、そこで織りなされる不動の価値があるもことも明らかにしました。
新型コロナウイルスは、令和になり新しい時代に浮き立っている日本社会に、烈風のごとくダメージを及ぼし、ショベルカーのように社会を深く削りました。
風がおさまり、ショベルカーが通り過ぎたころ、変わらない形で残る、残したいと思うものがあります。
それが、成熟の時代に、私たちの社会にとってほんとうに必要なものであり、人との出会いでしか得られない感動や価値は、学校教育や社会のなかにしっかりと残っていくものだと思います。
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