子育てについては親の責任をあまりにも重視しているのが今の日本の子育て施策の特徴です。
たしかに子育てでの親の役割は大切であることは言うまでもないことです。
でも、昔の地域社会では、親を中心にしながらも、近所の人や周りが子育てにかかわる仕組みがありました。
近所のおばちゃんが「おすそわけ」といって、食べ物をもってきてくれました。
地域の子が良くない遊びや行いをしていたら、周りのおっちやんが、親にかわって叱ってくれました。
わたしは小学生のとき、近所のため池の樋(ひ)を友だちも面白がって引っ張っていたら、樋が抜け池から水が勢いよく放たれました。
用水路を溢れた水が道路一杯に広がり、「えらいことになった」と、友だちと顔を見合わせ真っ青になりました。
町内のおっちやんにこっぴどく叱られました。おっちゃんは池の中を潜り、開いた樋を占めてくれたことを、翌日学校の先生から知らされ、ここでも厳しい指導を受けました。
当時は、学校も地域と一体で地域の子どもを育むコミュニティがあったのです。
それは、濃い人間関係で個人の自由が制限されたり、プライバシーに踏み込む弊害があり、別の見方では、少し苦手と思う人がいたことが一方では事実です。
そして、今の日本社会は個人化が進行し、コミュニティの人間関係は希薄になり、地域の教育力は弱体化しました。
その流れとともに、子育ての責任は親のみに大きく委ねる社会になってしまったのです。
当然、子育ての行政施策は「親をしっかりさせる」ことにベクトルが向きます。
そのように、親が働きながら子育てをするのが当たり前になったいま、それを経済的に支援することで、少子化をくいとめようと意図することになります。
しかし、今の日本では親はわが子を成人するまで、延々と20年間も長い道のりを歩み、多額のお金がかかることになります。
親の経済力で子どもの学びが左右されるのが現実です。
「教育にお金がかかるから、子どもはたくさんはもたない」という親側の思いが強いのです。
このままでは、お金だけ親に手厚くすればいいという施策や政策では、税金のばらまきになる心配もあります。
今は、ほどほどの人と人のつながりと人間関係をもとに、地域をあげてよその子どもの成長にかかわるあらたなしくみが必要す。
親のみに子育ての責任を求めすぎないようにするべきです。
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