大災害時代を迎え、耐震構造を施した高層ビルがそびえ立つようになりました。
高くそびえていて、人はその勇壮を見上げることもあります。
「ところが」です。
ふと気がつくのですが、高層ビルは下界のアリのような人間を見下ろしているだけで、人は見上げても「魂」を感じることが少ないのです。
それとは違い、自然は少しずつでもつねに生まれ変わっています。
あのときはなかったのに、今ではかすかな小川が流れるようになった。高く張っていた木の枝がなくなくなっている。・・・・・
だから、都会のビルとは違い、自然はいのちが通い毎年生まれ変わります。
そう感じながら、わたしは自分の生まれたふるさとで何十年も過ごしてきたのです。
ところが、高い山に登ったとき、そうでもなかったのかと思うようになりました。
自然さえもが、空から見れば結局は地上のことです。
動物もいつかは死にます。
木もいつかは朽ちるのです。
湖は干上がったり、埋まったります。
畑は放っておくとうっそうと茂る森になります。
もちろん、そびえるビルも永遠ではないのです。
じつは天体の月や太陽はその地球上の営みをすべて俯瞰しています。
持続可能な開発をして、環境と自然が共生する営みそのものは尊いことであり、否定されるべきことではけっしてありません。
しかしながら、私たちが下界で見ているものはいずれは滅びるのです。
対して、天体や宇宙は何億年も続く永遠というものでしょう。
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