箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

沖縄の基地問題を中学生が考える

2021年04月16日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ

沖縄の宜野湾市に佐喜真美術館があります。

この美術館の階段に昇ると、屋上から米軍の普天間基地滑走路が見えます。

それを眺めたとき、わたしは日本国内にある米軍基地の70%が沖縄に集中しているという事実を実感しました。

沖縄の基地負担を軽くするため、その普天間飛行場を返還すると日米間で合意してから25年になります。

返還にならないのは、代替地に施設を移すことが条件になっているからです。

代替地には、はじめ海上ヘリポート建設が予定されていましたが、計画が膨らみ、名護市辺野古の海を大規模に埋め立て、2本の滑走路を作るという大きな計画へと変わってきました。

沖縄の人は辺野古移設に反対の意思を表明し、2019年の県民投票では反対は72%に上りました。

ところが、その願いをきくことなく、日本政府は辺野古の海の埋め立て工事を始めました。そのうちに、軟弱な地盤があることがわかり、移設は2030年以降になるという見通しです。

いまの日本政府に、沖縄の基地負担を本気で軽減する意図はあるのでしょうか。

沖縄の平和を語るとき、基地問題は必ずついてまわります。

私の校長在任中の4年前の沖縄修学旅行では、宿泊のホテルに「実現型ディスカッション」を企画する学生が起業した「がちゆん」に協力してもらった平和学習を行いました。






生徒をグループに分け、それぞれのグループにがちゆんの大学生のコーディネーターが入り、基地問題について生徒がディスカッションをするプログラムでした。

ディスカッションのテーマを大学生が提示します。

生徒たちは、たんに沖縄の基地問題について、講師の人から話を聞くような「受け身型」の学習でなく、積極的に話し合う能動的な学習ができました。

沖縄の基地問題を他人事のように捉えるのではなく、自分は沖縄に基地が集中していることに対して、自分の意見や考えを明確にするという点で、意味のある学習ができました。

教育にノルマはあわない

2021年04月15日 08時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ


兵庫県のJR尼崎駅脱線事故から、今年の4月で16年になります。

運転士は時間通りに次の駅に着くため、必死になって猛スピードを出した結果として起きた事故でした。

脱線した電車は、多くの人びとの尊い生命を奪いました。

この事故は、「ノルマ」をこなすことによる無理が引き起こした悲惨な事件でした。

ここで、学校教育に目を向けてみます。

親が子に対して、教員が児童生徒に対して、校長が教職員に対して、教育行政が学校に対して、「ノルマ」を強いていないでしょうか。

「1日に3時間勉強しなさい」(親→子ども)

「給食は残さずに全部食べなさい」(教員→児童生徒)

「学年の保護者向け通信を週に1回はかならず出しなさい」(校長→教職員)

「学校が休校の間、授業動画を毎日家庭へ配信しなさい」(教育行政→学校)

「こうしなさい」と義務づけたり、指示したり、命令したりするもののなかには、必要なものも多くあります。そこには、「子どものために」という前提があるのです。

しかし、それがいきすぎて「ノルマ」になってしまうと、様々なところで不協和音が出たりして行き詰まってきます。

「ノルマ」では、誰も幸せにはなれません。

学校には「児童生徒を育てる」という役割がありますが、「児童生徒が育つ学校」に変えていくことは、今の時代、とても大切です。

この点で、思い出したいのは、教育は児童生徒の力を伸ばす活動であるが「ノルマ」を課すことではないのです。

教育は児童生徒の力を引き出す活動であるということを、あらためてすべての人が心得ておきたいところです。

特性をもった子

2021年04月14日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ



基本的に人間は、とくに子どもは、「ちゃんとしなさい」と叱られてばかりだと、自分は何をしてもダメだと考えます。

そして、やりたいことがあっても主張しなくなります。

やりたいことがあっても、チャレンジしなくなります。


子どもは、本来さまざまであるのですが、大人はふつう子どもはこうするものという「常識」で、子どもの言動を見ます。

でも、子どものなかには、いわゆる発達障害のように、独特の言動をする特性をもった子もいるのです。

「常識」に当てはまらない子どもの言動に対して、大人の理解が及ばないとき、叱ります。

そして、思った通りに言ったり、行動すると、叱られると感じて、何事にも消極的になります。

そして、居心地がよくなく、沈んだ気持ちになります。

しかし、反対に、理解ある家族や先生に囲まれて、失敗しても叱られないということがわかれば、積極的に行動できるようになります。

精神的に安定して、居心地がよくなり、未体験の活動や新しい人の交流にチャレンジできるようになります。


特性をもった子は褒められて成長していきます。

小さな進歩でも、家族や学級で喜んでくれるような環境が、その子の生活する基盤になり、自分らしさを発揮することができます。






問題を起こす生徒の指導

2021年04月13日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ

教師とは「教える人」です。「教えること」が仕事であるがゆえに、教師は生徒に関する問題が起こると、指導をしたくなります。

 

「だめだろう。あなたの考えはまちがっている」

 

しかし、その指導は、どこまでも「正論」です。

 

子どもは正論を突き付けられると、何も言えなくなります。口を閉ざすばかりでなく、心を閉ざします。

 

うならないためにも、教師は生徒の問題行動が起きたとき、指導は必要ですが、自分の発言は少なくして、まずは生徒の言葉に耳を傾けます。

 

たとえば、ある生徒が万引きをしたとします。

 

ポツリポツリ語るなかで、家庭でのきょうだい関係での不満が出てきたり、学習で成績を上げなければならないという抑圧を吐露する子がいます。

 

生徒の言葉を聴いているうちに、「なぜこの子はこのような問題を起こしたのか」がわかってきます。

 

「そうか、そういう気持ちだったんだな。つらかったな。話してくれてありがとう」と、返します。

 

今の子どもは、自分の悩みや葛藤を誰かにしっかりと聴いてもらったという経験が不足しています。


人は、誰しも、自分の苦しい気持ちや悩みをわかってくれる人と出会ったときに、自分がどうしていくべきかを考える出発点に立てるのです。

 

教師がしんどい気持ちを受けとめてくれた。自分がなぜ問題を起こしたかを、自分自身で理解できます。

 

そのとき、はじめて「悪かった」という反省の気持ちが出てきます。

どうすべきかも、自分で考えることができるようになります。

 

これが、本来の「生徒指導」の本丸です。


変わる教職課程

2021年04月12日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ

 
教員を目指す人は、大学で教職課程を修めなければなりません。

学校の現場へ実習に行く「教育実習」も教職課程の単位の一つです。

いわゆる団塊の世代が大量退職をして新規採用の必要が増したのは、教員の世界も同様でした。

そのため2000年に入り、都市部からスタートして、現在まで教員大量採用時代が続いています。

しかし、最近では、教員の長時間労働がメディアに取り上げられてから、ここ数年は教員希望の大学生が減少しているという事情があります。

そして、いま、文科省は大学の教員養成に関して、「連携教職課程」を創設しようとしています。

これは、教員免許取得に必要な単位(科目)を連携協定を組んだ大学間で、80%程度まで共通化して履修できるものです。

さらに、協定を結んでいれば、大学の教員もほかの大学で指導することもできます。

いま注目されるのは四国であり、今年の3月に、四国内の国立大(香川大、愛媛大、高知大、徳島大、鳴門教育大)が「四国地域大学ネットワーク機構」を設立しました。

2023年度には、機構は「連携教職課程」の認可を受ける方向で進めています。

四国でも学生減と教員を希望する学生が少なくなっています。

このままでは、もともと採用人数が少ない音楽、美術、技術家庭などの教職課程を維持できなくなるという、各大学共通の課題があります。

これからいやおうなく押し寄せてくる鳴門のうず潮のような少子化の波、都会の大学の渦に飲み込まれてしまいそうな大学間の競争に対抗する戦略として、「連携教職課程」が増えていくかもしれません。

コロナ禍があぶり出した生と死

2021年04月11日 09時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ

志賀直哉の小説に『城崎にて』があります。

兵庫県の城崎温泉で、けがの養生している主人公を扱っている小説です。

その『城崎にて』に次のような一節が出てきます。

川に死んだ蜂が浮いて流れています。
首に串が刺さったネズミが一生懸命に泳いでいます。

それを眺めながら、主人公は川の端にいたイモリに石を当てて殺してしまいます。

ここからわかるように、生き残った自分と死んでいった動物がいるように、生きていることと死んでしまうことは、それほど大きな差はない。
生と死は隣り合わせだと言っています。


私の父は7人きょうだいでしたが、その当時の日本では、たくさん子どもがいるのが普通の家庭でした。しかし、途中で亡くなる子も多くいました。

その後、医学や科学が発達して、人間の寿命は延びていき、子どもが幼少期や青少年期に亡くなることはほとんどなくなりました。

思えば、第二次世界大戦以降の日本では、私たちは安全な社会をつくり、死ぬことを遠ざけてきたのでした。

ところが近年になり、大きな地震や大規模な自然災害が起こり、つい昨日まで顔を合わせていた人が急に亡くなる事実に直面するようになりました。

直近でいえば、新型コロナウイルスの感染による死は、ついこの前まで元気だった人が命を落とし、私たちに死が隣り合わせだと実感させます。

また、最近では新型コロナウイルス感染症がまん延して、先が見えにくい状況が続く中で、「死にたい」とつぶやく若い人が増えているとも聞きます。

いままで当たり前だったことが当たり前でなくなり、学業、人間関係、家族関係で行き詰まる人がいます。

生きるとはどういうことなのか。人は死んだらどうなるのか。多くの人がコロナ禍をきっかけに死ぬことを身近に考えるようになっています。

さらに今、『ちょっと神様になってみました』(著者 荒川祐二、監修 高橋日菫、KADOKAWA)が発売されています。

この本は死後の世界から逆算して、今をどう生きるかという人生の指南書になっています。

「死」を身近に感じたとき、生きていることが奇跡であることを実感できます。

学校教育では、児童生徒がいのちがあること、生きていることが、いかに貴重なことか、自他のいのちを大切に思える機会を設けていきたいのです。

それが、学校教育が担う現代的課題です。


やっぱり生きよう

2021年04月10日 07時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
菜の花がきれいな頃となりました。

先日、菜の花畑をみかけました。

鮮やかな黄色の花が一面に咲いており、見事な光景でした。

菜の花に関して、以前に読んだ本の内容を思い出しました。

ある男の人が、生きることに絶望して、死に場所を探して、東京の界隈をさまよっていました。

「もう死ぬしかない」という思いで、ふらふらと歩いていて、四谷駅までたどり着きました。

ふと駅の裏手にまわりました。

すると、目の前に開けたのは、当時の四谷駅の裏手一面に咲く黄色の菜の花でした。

このとき、その美しさに目をカッと見開き、足を止め、しみじみと見事な黄色の菜の花を眺めました。

突然、荒(す)さんでいた心に希望の光が射し、「やっぱり、生きよう」と気持ちが変わりました。

そのような内容でした。

自死を考える人の気持ちは、死ぬことしか浮かびません。それしか選択肢はないのです。

死に向かう振り子のようなのです。

しかし、壮大な美しい自然に接した時、振り子は死に向かう揺れから、急に生きる方へ振り始めるのです。

私は、これが大自然の力だと思います。

大自然の美しい景色は、時として、人に生きる勇気をもたらしてくれることがある、とわたしは信じます。

もし、今回のコロナ禍で自死を考えている人がいるなら、なんとかして生きる方向に心の振り子が振りだすことを願います。



入学おめでとうございます

2021年04月09日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
4月。入学式のシーズンです。

コロナ禍が引き続く中での2回目の入学シーズンです。

今年入学して、中学生になる生徒の皆さん、おめでとうございます。

保護者の皆さん、おめでとうございます。

今の時代、子どもを中学生になるまで育て上げることは、なかなかたいへんなことです。

12歳になるまでお子さんを育てられてきた、ご努力とご苦労に、最大の敬意とねぎらいの賛辞を送りたいと思います。

中学生を育てる教育の目標は、自立する子に近づけることです。

他者との人間関係をもち、つながり、自分を見つめて、考え、自分の生き方を見つけることができるように育てることが、究極の目標です。

思春期なので悩みも大きくなることもあります。中学生は悩むのが仕事であると、わたしは校長のときに、よく言っていました。

ただそんなとき、かたわらで心配してくれるおとながいることが必要です。

そのおとながいることで、中学生は自分の力で困難や課題を乗り越えていけます。

充実した中学校生活を送れることを願っています。



報われるまで続けるのが努力

2021年04月08日 08時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ
本当にすごいの一言です。

競泳の池江瑠花子が奇跡の復活をしました。

2019年2月に、急性リンパ性白血病と診断され、公開して治療に専念されました。

この知らせに、多くの人は、もう水泳での復活は無理でないかと思ったことでしょう。

わたしも同じことを思いました。

12月に退院しました。

その後、2020年3月から練習を再開しまして、8月にはレースに復帰しました。

そして、このたび、4月4日の日本選手権バタフライで優勝し、東京オリンピックのメドレーリレー代表に決まりました。

見事な復活を遂げました。

おそらく彼女は、想像を絶する努力を重ねたことでしょう。

体力や筋力が落ち、日常生活に戻るだけでもたいへんなのに、世界レベルまで回復するのは、周りの関係者の協力もあったでしょうが、なによりも本人の努力がなしえた結果だと思います。

インタビューで、「努力は必ず報われる」と本人は感涙にむせび、話していたのが印象に残っています。

この言葉は、彼女ほど言うのに相応しい人はいないでしょう。

「努力は必ず報われる」と言う人は多いです。でも本当は、報われるまで重ねて続けるのが真の努力であることを教えてくれます。







教職を魅力ある仕事に

2021年04月07日 08時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ

最近、教員を志望する人が減ってきています。その理由の一つは過酷な長時間労働で、敬遠する人が増えたからと言われています。

そこで、文科省はこのたび現役教員の声をツイッター等のSNSを使い発信して、教職の魅力をアピールしようと企画しました。

その企画は「#教師のバトン」プロジェクトと言います。

「こんなふうに教職には魅力がありますよ」→「そうね、子どもの成長が、わたしの達成感」→「つらいこともあるけど、子どもの可能性を伸ばす仕事にかかわることができるから、教職はすばらしいですよ」・・・というようにバトンがつながり、教職に魅力をもつ学生が増えるのでないか。

ところが、そのような文科省の思惑は外れ、寄せられた現役教員の声は、労働環境が過酷で、教員にならない方がいい、時間外勤務が長く、手当もつかないという不満がたくさん集まりました。

「こんな職場には来ない方がいいですよ」
「仕事は減るどころか、増えるばかり。帰りは遅い」
「明日で退職です。朝から晩まで働きました。いま思うと、失ったものがあまりにも多かった」
・・・・・・・・・

教職の魅力どころか、「炎上」とまで言える、マイナス意見が多く集まったのでした。

一度、「#教師のバトン」でツイッターを開いてみてください。

文科省は、「先生たちの思いを真摯に受け止め、働き方改革を進めていかなければならないとの意を強くしました」と釈明しています。

2016年度調査では、小学校の3割以上の教員、中学校の6割程度の教員が月80時間以上(「過労死ライン」)の時間外勤務をしていることが明らかになったのでした。

でも、わたしは、時間外勤務の長さや部活にとられる時間はぜひとも改善すべきだと思いますが、それでも、経験上、教職の魅力は揺るがないという信条をもっています。

ただ、わたしが考えるのは、最近の学校は教育の課題が膨らみすぎ、何でも学校教育の課題として、教員が進めていくことが多くなり、学校の自由度が減っていることが、不満を増大させているということです。

社会からの要請を受け、あれもしなければならない、これもしなければならない。

もっと教員と児童生徒・保護者が信頼関係を深めることができる機会がないと、不満を持つなと言っても、現場の教員には届きません。

卒業前に、「先生、3年間お世話になり、ありがとうございました」と、生徒や親御さんが言ってくれると、3年間の苦労は一瞬にして報われたと感じたことが、わたしには何度あったことでしょうか。

人の成長に寄与する、かけがえのない崇高な教職を志してくれる人が増えることを、切に願います。

新しい高校教科書

2021年04月06日 07時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
現代の社会の急速な変化を受け、生徒に基本的な知識を身につけた上で、自分で課題を見い出し、解決する力を伸ばしていくという理念で、このたび高校生が学ぶ検定教科書が公表されました。

この教科書は、小学校の学習指導要領の実施(2020年度)、中学校の学習指導要領の実施(2021年度)に続き、2022年度から実施の学習指導要領に基づく高校の授業で使われることになります。

「主体的・対話的な深い学びの学習」という理念は、一貫して小中高の授業で実現をめざしていくことになります。

その際、高校では新しい科目が新設されることになります。

日本と世界の近現代史をつなぐ「歴史総合」、主権者教育を標榜する「公共」、プログラミング学習とネットワーク学習を行う「情報Ⅰ」が新しい科目になります。

選挙権が18歳以上に引き下げられ、2022年度には成人年齢も引き下げられます。

新しい教科書を使い、こらからの授業を進めていくためには、授業者(教員)の指導力の向上が必要となります。

とくに、「情報1」の科目は、専門的に教えることができる教員が少ないという現場の実情があります。

新しい科目や指導法に対応できるように、教育委員会は教員研修を充実させなければなりません。


学習しないと、失言は止まらない

2021年04月05日 15時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今の時代は、テレビ局から放送される番組での出演者の発言に対する視聴者の感覚はかなり鋭くなっています。

テレビ番組は、この4月に改変されます。

たとえば、朝の情報番組も改編され司会やメンバーが入れ替わることもあります。

その番組は生放送で流されるため、局として一番心配なのは、不適切発言や失言を出演者がしないかと心配になるのでないでしょうか。

女性差別を「悪意なく」いう人が番組内で発言する。アイヌ差別の発言も指摘されて初めて不適切な発言だったと謝罪することもあります。

出演する人も「何を言われるかわからないので、何も話せない」と思うかもしれません。

しかし、なぜその発言が問題なのか、不適切なのかは、その人の学習がたりないのです。

人権のさまざまな課題を、学習していると、一つの人権課題は、ほかの人権課題とつながっていることがわかってきます。。

人を尊重して、人を大切にする発言や行動は、普遍的なものであり、知識として身につけて行動化されなければなりません。。

できれば当事者との出会いをしておくほうが、もっといいのです。

当事者と出会うことで、「悪意のない」不用意な言動により心を傷つけられた人の痛みを知ることができます。

でも、最低限、知識だけは身につけておくことが生放送に出演する人には、最低条件だと思います。

学校での人権教育は、人権の課題についての知識を深め、課題が社会のしくみから生まれており、社会を変えようと行動する人を育てることを目的とします。

やはり大きかった感染防止対策の子どもへの影響

2021年04月04日 09時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ


新型コロナウイルス感染対策に翻弄された2020年度が3月で終わりました。その後、4月から新年度を迎えようとするいま、感染の「まん延」が問題になっています。

大阪では、緊急事態宣言解除後から、一気に新規感染者数が増えてきています。

さて、昨年度1年間をふりかえってみますと、新型コロナウイルス感染拡大による心身への影響は、とくに小学生に強く出たようです。

「コロナが怖くて、一人で家に帰りたくない」と不安になる子ども。

「クラスにマスクをつけない子がいる」と不満を言う子ども。

心理的に安定していない子どもの状況がうかがい知れます。

3密を避けるため、つねに友だちに近づきすぎないように言われてきました。

給食の時間も、全員が教卓の方を向き、黙って黙々と食べなければなりませんでした。

このような学校の不自然な環境が、他者とのつながりを細く、弱くしてしまうことがありました。

子どもが「私はひとり」と感じることもあります。

学校行事も減らされたり、方法を変更して実施することがあった1年でした。

学校行事は、児童生徒が一つの目標に向かって、力を合わせて達成する体験をさせることができます。

これは自他を大切にする貴重な経験を積むことになります。

子どもにとっての1年は、おとなの1年とはちがいます。

かけがえのない1年であり、将来の人生に影響することもあるのです。

子どもたちが、知恵を出し合い、協力し合って問題解決に取り組む経験が乏しければ、社会性や人間関係を築く力が身につくかどうかという危惧があります。

学校の現場は、2020年度の1年間、児童生徒を新型コロナウイルスの感染から守ることに懸命でした。

でも、昨年度と同じ繰り返しではいけないのです。

おとなが一方的に教育活動に感染防止対策を盛り込み、進めていくばかりではよくないのです。

教職員と児童生徒がアイデアや知恵をいかして、子ども主体・子ども発こ感染防止への取り組みを進めていくことが、2021年度には必要となります。

国語の授業でふるさとを想う

2021年04月03日 07時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ
    「離郷」

悲しくて涙が止まらない
止めどなく頬を伝う一筋に
ふるさとがあることを知った
もう戻れないのだろうか

悔しくて言葉を探し出せない
沈黙の隣に 
恐ろしい静けさに 震える喉に
ふるさとがあることが分かった

必ず戻ってこよう
目と鼻を拭き 押し黙り
家族でうなずくと
夕暮れが迫ってきた

私たちは これから家を
街を 森を 田園を離れていく
別れの前に 唇を噛みしめて
揺るがないふるさとを想った

(『ふたたびの春に』祥伝社黄金文庫)

福島県の詩人・和合亮一さんの詩です。

東北地震後間もない2011年5月、福島県川内村から避難した男性が、郷里を離れるときの思いを聞きとり、書いた詩だそうです。

言葉にしようとすることで、言葉にならないものがあることがわかり、その思いを周りと分かち合うことができると、和合さんは言います。

ふるさとは、その人それぞれにとって大切なものなのです。


また、人をふるさとにたとえた楽曲もあります。


「あなたがいてくれたから」

あなたがいてくれたから
どこまでも歩けたんだ
つらい時は 振り返って
その姿を確かめた
あなたがいてくれたから
あきらめず やって来られた
私にとって
あなたはずっと
そこで やさしく見守る
Hometown

(『あなたがいてくれたから』作詞 秋元康)


人はそれぞれ自分のふるさとをもっています。

それは故郷の自然かもしれないし、風景かもしれない。あるいは、自分の心がほっとできる相手かもしれない。

ふるさとを大事にしたいと思います。

こういう詩を教材に使い、国語の授業ができます。

思春期の中学生は感性がみずみずしく、研ぎ澄まされた感覚をもっています。

作者の言葉にできない思いを感じとる授業ができそうです。

どの詩を教材に据えるかで、国語教師の力量が試されます。

















公教育の果たす役割

2021年04月02日 08時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ
公立の学校は、公教育を進める教育機関です。

公教育であるからこそ、どの子に対しても、家庭環境や家庭の経済的条件に関係なく、学習や課外活動、給食などを、あらゆる層に提供します。

それらを後押しするのが家庭教育です。家庭学習やしつけなどは、学校教育を家庭教育が支えるというのが、日本の教育の特徴であるといっていいでしょう。

しかし、新型コロナウイルスは、学校教育を後押しできる家庭とできない家庭による差を生み出してしまいました。

学習面では、たとえばネット回線とパソコンがある家庭とない家庭による差です。

仲間関係では、休校で友だちやおとなとの十分なコミュニケーションがとれない子が、家庭で家族と会話を交わせる家庭とそうでない家庭との差が生まれました。

食事面では、休校で給食を摂れない子が、家で栄養バランスをある程度満たした食事がとれる子とそうでない子が、貧困の問題に関連して問題になりました。

今後は、昨年のように全国一斉休校になることはないでしょうが、また休校になる学校も出るかもしれません。

学習内容の理解が追いつかない子への個別補習を学校が実施するなど、伴走的支援が必要になります。

緊急の事態であっても、企業がやっているように、被害を小さくして事業を続ける「事業継続計画」について、学校教育は得意ではありません。

休校であっても、児童生徒の学びを止めないため、昨年度の休校のときの影響を検証して、教育行政、学校が責任をもって、それぞれの役割を果たすべきです。