メルマガより抜粋―
「朝」は、日の出を意味するために太陽のイメージが強いものですが、字の中には、月が入っています。
「朝」は、艸(そう)と日と月とを組み合わせた形で、艸(=草)の間に日(=太陽)が出ているが、残月がなおかかる形で、朝あけのときの状態を朝というのだそうです。金文では、月のところが水の流れを表す字になると、朝潮のさす時の意味を持ちます。
殷の時代には、日の出を迎えて朝礼をし、その際に政治上の大事を決定したので朝政といい、朝は「まつりごと(政治)」の意味を持つようになっていったようです。
孔子が弟子たちに語った言葉に
「 朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり ~『論語』里仁篇 」
というのがありますが、意味は「りっぱな教えを聞くことができれば、その日のうちに死んでも悔いはない」となり、一日を生涯として大切に生きることを戒めています。
同様に
「 人生は朝露の如し ~『漢書』蘇武伝 」
人生は、朝露のようにあっというまに消えていく。いつのまにかこんなに年をとってしまったなぁ。短い人生を生きるならば、大いに楽しもうじゃないか!という、仕事ばかりの味気ない人生はつまらないことを揶揄しているものもあります。
「朝」という字が、ある一定の時間を表すように「朝」という字に「さんずい」を加えた「潮」は「しお、うしお」を意味し、朝と夕の満潮と干潮を潮汐(ちょうせき)といいます。いつまでも居座って、けむたがれるよりは、大勢の人から惜しまれて退去する<潮時>、タイミングも人生では大切なことです。
一日が始まるモーニング(=morning)と喪に服するモーニング(=mourning)にも、朝と夕、生と滅がめぐる哲学的な意味を感じますね。朝の光を体でしっかり受け止めて、夕暮れの頃には、日中ついた埃を洗い流して、再生する準備をする。その繰り返しこそ、素晴らしい人生なのかもしれません。
朝焼けに君を映してきらきらと
若き時経て夕焼けを待つ (Mrs.modest詠む)
「朝」は、日の出を意味するために太陽のイメージが強いものですが、字の中には、月が入っています。
「朝」は、艸(そう)と日と月とを組み合わせた形で、艸(=草)の間に日(=太陽)が出ているが、残月がなおかかる形で、朝あけのときの状態を朝というのだそうです。金文では、月のところが水の流れを表す字になると、朝潮のさす時の意味を持ちます。
殷の時代には、日の出を迎えて朝礼をし、その際に政治上の大事を決定したので朝政といい、朝は「まつりごと(政治)」の意味を持つようになっていったようです。
孔子が弟子たちに語った言葉に
「 朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり ~『論語』里仁篇 」
というのがありますが、意味は「りっぱな教えを聞くことができれば、その日のうちに死んでも悔いはない」となり、一日を生涯として大切に生きることを戒めています。
同様に
「 人生は朝露の如し ~『漢書』蘇武伝 」
人生は、朝露のようにあっというまに消えていく。いつのまにかこんなに年をとってしまったなぁ。短い人生を生きるならば、大いに楽しもうじゃないか!という、仕事ばかりの味気ない人生はつまらないことを揶揄しているものもあります。
「朝」という字が、ある一定の時間を表すように「朝」という字に「さんずい」を加えた「潮」は「しお、うしお」を意味し、朝と夕の満潮と干潮を潮汐(ちょうせき)といいます。いつまでも居座って、けむたがれるよりは、大勢の人から惜しまれて退去する<潮時>、タイミングも人生では大切なことです。
一日が始まるモーニング(=morning)と喪に服するモーニング(=mourning)にも、朝と夕、生と滅がめぐる哲学的な意味を感じますね。朝の光を体でしっかり受け止めて、夕暮れの頃には、日中ついた埃を洗い流して、再生する準備をする。その繰り返しこそ、素晴らしい人生なのかもしれません。
朝焼けに君を映してきらきらと
若き時経て夕焼けを待つ (Mrs.modest詠む)