わたしの心 

日々の出来事・感動などを日記にして公開したいと思います。
(管理人:Mrs.modest)

きたまつり(5車・1艘)

2017年04月30日 | 感動

2017年4月29日・30日は、常滑市大野&西之口合同の春祭りでした。

Yさんのパパさんから宵祭りの写真が送られてきましたので、ご紹介したいと思います。
(一度は行きたいと思うのですが、駐車場等の問題があるため、見に行くことができていません。)

     
今年は、大野・西之口地区合同で5年に一度の「きたまつり」が行われたとか。
西之口地区から山車2台(西寶車、雷神車)、大野地区から山車3台(唐子車、紅葉車、梅栄車)、まきわら舟1艘(権丸)
観客も多く、かなり盛大だったようで

次回の「きたまつり」は、5年後の2022年
行きた~い


(デンくんへ)
 「きたまつり」の写真は、撮りに来ましたかあ~
 

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藤の花+ぶんぶんぶん

2017年04月30日 | 自然

気持ちの良い晴天日和。
孫娘(次女)と農園オーナーと三人で旭公園の藤を見に行ってきました。
花が真っ盛りの藤棚の下でのお弁当。
とっても気持ちよかったですよ~
ただ…、藤の花の蜜を吸うために沢山のクマバチ?が飛んでいまして。
羽音が結構聴こえて来て、BGM入りの藤の花見と相成りました。

     

フジ(藤)の花の花言葉「決して離れない」は、木に絡みつき大きく成長し木の周りに綺麗な花を咲かせることから、つけられたらしいです。 
古くから、松を男性、藤を女性にたとえて、庭木として松と藤を近くに植えていたそうです。
フジの花が咲くと訪れる蜂ですが蜂の中でも多いのがクマバチ(熊蜂)、クマンバチともいわれます。
大きく黒く、大きな羽音で、怖いイメージがあります。 
名も、熊と蜂 攻撃的な感じです。でも、そんなに怖くはありません。
クマバチは温厚な性格で、人間を攻撃することは殆どありません。
クマバチに接近しても、殆ど気にせずに密を吸ってます。
よく見ると、ぬいぐるみのような可愛い蜂です。
花言葉:「決して離れない」「歓迎」「恋に酔う」 
名の由来:花が風に散る姿の「風散(ふぢ)」または「吹き散る」という意味に由来する。
  (インターネット調べ)

花々と孫娘に癒されている今日この頃です。




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Yさん家のモッコウバラ

2017年04月28日 | 自然

モッコウバラとは―
モッコウバラ(木香薔薇)という花名は、漢名の「木香花」の音読みに由来しています。
木香花という漢名の由来は、白色のモッコウバラの香りがキク科のモッコウ(木香)に似ているからという説と、モッコウバラの乾燥した根の香りが「唐木香」という香料に使われていたからという説があります。
花言葉:「純潔」 「あなたにふわさしい人」「初恋」「幼い頃の幸せな時間」

     
上の紫の花は、「シラーカンパニュラータ」だそうで。(一緒にYさん家を訪れたTさんが持ってきてくれた花)
球根に毒を含むため、ギリシャ語のskyllo(害になる)に由来し、花の形から小さな鐘を意味するカンパニュラータ(カンパヌラータ)と名づけられました。     
花言葉:変わらない愛、恋の呼びかけ、哀れ、淋しい。

       
Yさんからお土産でいただいた「コゴミ」。
コゴミ(屈/こごみ)とは―
正式な名称をクサソテツと言い、シダ植物の多年草です。
美しい緑の葉で、冬には地上の葉は枯れますが地下の株は越冬し、春から初夏に渦巻状の新芽が出てきます。
食用に採るのはその新芽の部分で、地方によっては「こごめ」と呼んだりもします。
クサソテツは葉の色や形状が美しいので、観葉植物としても利用されています。夏など見た目に涼しげな印象を与えてくれます。
「こごみ」という名前は芽が出てくる様が人が前かがみに縮こまっているように見えるからの様です。
天ぷらにすると良いとのことでしたが、胡麻和えにしていただきました。美味しかったです

思いがけずYさんから最盛期を迎えた「モッコウバラ」の鑑賞会(美味しい珈琲付き)のお誘いは、お天気も良いいのに屋内でむずむずしていた私にとって、正にグッドタイミング
感動の「モッコウバラ」
楚々とした「シーラカンパニュラータ」
春の恵み「コゴミ」

を多いに満喫させていただきました。
Yさんありがとう

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五回目?

2017年04月25日 | くいしんぼう

     
     

この所の忙しさで月一の定例ランチ会が中々できなかった友人と二か月半ぶりにランチしてきました。
例の隠れ家的お値打ち店「カフェ心屋」に。
上写真のメニューで何と税込み¥1,100ポッキリ
友人はとても喜んでくれて、今度は別のランチ仲間達と是非来たいと言ってました。
こうやって口コミでどんどんお客さんが増えていくんだろうなあ~
実は、前回同様今回もお土産としてクロワッサンを購入しようと思ったんですが…。
もう売り切れてしまったそうで。残念
何せ、テーブル(4人掛け)席が3テーブルしかないお店です。
その内、中々予約の取れないお店になっちゃったりして

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桜・撫子・冬紫陽花?

2017年04月23日 | 自然

昨日農園オーナーが採ってきた筍(茹で竹の子)と引き換え?に、友人から冬紫陽花なるものをいただきました。
「冬紫陽花」…?
正式な商品名は「フユサキアジサイ・スプリングエンジェル ピンクエレガンス 」。
豊富な花色を持つ西洋アジサイと常緑性のトキワアジサイの交配から作出された冬咲きアジサイ。
冬も休眠しないので、一定以上の温度があれば、年間を通して成長・開花します。
ピンクエレガンスは、パステルピンクの大輪花で不完全な八重咲き。花付き・花持ちが良く愛らしい印象です。
冬に咲いた花は3月中~下旬までに花の下から2~3節のところで切ると、5~6月に2番花が咲きます。
その後は翌年の花芽を作るため、7月下旬までに同じく花の下から2~3節のところで茎を切ると、夏に伸びた枝の先端が秋に花芽となります。
   (インターネット調べ)

「盆栽桜の楽しみ方」
春は満開の桜。夏は葉桜。秋は紅葉。冬は落葉と一年の四季を通して楽しめる。


2週間ほど前に、別の友人からいただいた「撫子」?


花芽もまだでずいぶん先のことですが、その内クレマチス・紫陽花・牡丹・日本スズラン等の花が咲き、目を楽しませてくれることでしょう。
楽しみです 
ブログでもご紹介していこうと思いますので、お楽しみに 

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葉桜=生きる力

2017年04月22日 | 思うこと

  2017.04.21 午前8:36 撮影


  2017.04.22 午前8:49 撮影

葉桜は、5月・夏の季語だそうで。
温かくなったり肌寒くなったりと、寒暖の差が激しく、4月の下旬だとは思えないような今日この頃。
夏はまだまだ…。
でも、若葉の清々しい姿は、生きる力を与えてくれるような気がします。

 「葉桜が生きよ生きよと声かくる」(相生葉留実)
 桜の花は、開花→○分咲き→○分咲き→満開→花吹雪→葉桜と移る、その間誰もが落着きを失ってしまう。高橋睦郎が言うように「日本人は桜病」なのかもしれない。花が散ったあと日増しに緑の若葉が広がっていくのも、いかにも初夏のすがすがしい光景である。咲き誇る花の時季とはちがった、新鮮さにとって替わる。さらに秋になれば紅葉を楽しませてくれる。「花は桜」と言われるけれど、葉桜も無視できない。花が散ったあとに、いよいよ息づいたかのように繁りはじめる葉桜は、花だけで終わりではなく、まさにこれから生きるのである。「生きよ生きよ」という声は桜自身に対しての声であると同時に、葉桜を眺めている人に対する声援でもあるだろう。
   (「増殖する俳句歳時記」より)


(パパさんへ)
早速のコメントありがとうございます。
つい桜の花が散ることの寂しさばかりを考えていましたが…。
花が散った後に若葉が元気よく現れることを忘れていました。
今度ひまわりが練習を開始する谷川俊太郎の「生きる」の歌詞に通じる所があるような気がします。
応援よろしく

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引き際の美学?

2017年04月18日 | 自然


2017.04.17 7:43 撮影


 2017.04.18 7:57 撮影

桜は、散り際の潔さが良いと言われますが…。

 「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき
     (よみ人知らず・伊勢物語)
 散るからこそ,桜は素晴らしいのです。
 悩み多いこの世の中に、久しく留まっている物などあるでしょうか。

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「生きる」(無伴奏混声合唱曲)

2017年04月16日 | コーラス

コーラスでこれから練習していく新曲が決まりました。
それは、「生きる」(谷川俊太郎 作詩/新実徳英 作曲)。
無伴奏なため、かなり難解な曲だそうで。
一先ず、歌詞だけでも理解しようということで、ネットで調べました。

『生きる』の歌詞は、
以下の詩から構成されています。

1 詩集『六十二のソネット』に収録されている
「62」の第3連と第4連。

世界が私を愛してくれるので
(むごい仕方でまた時に
やさしい仕方で)

私はいつまでも孤りでいられる
私に始めてひとりのひとが与えられた時にも
私はただ世界の物音ばかりを聴いていた
私には単純な悲しみと喜びだけが明らかだ
私はいつも世界のものだから

空に樹にひとに
私は自らを投げかける
やがて世界の豊かさそのものとなるために

私はひとを呼ぶ
すると世界がふり向く
そして私がいなくなる
(「六十二のソネット」より)

2 『うつむく青年』の「生きる」から、
第3連(6行すべて)、第5連(後半3行)。
第3連の冒頭2行は各連のはじめにも登場する。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
(「うつむく青年」より)
    (インターネット調べ)

さあ頑張って練習するぞ~


(mezoさんへ)
  You Tubeで見つけたので、一度聴いてみてくださいな。合唱曲「生きるこちらをクリック

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盆栽桜観察日記(4/16)

2017年04月16日 | 自然

2017.04.16 午前7:43 撮影

「風よりも火だね」と我を呼びし人 葉桜のした火を抱かず行く
  (俵万智「かぜのてのひら」より)

先日訪れた堀文子展で展示されていた日本画「花霞」
 
 西行が庵を結んだという聖地吉野は、文子にとって長く憧れの地であった。
  「吉野山やがて出でじと思ふ身を
      花散りなばと人や待つらむ」
  「ねがはくば花のもとにて春死なむ
        その如月の望月のころ」
 女学生の頃、国語の時間に習った西行の歌。
 乱世を厭い、一所不住の旅を住処とした西行の生き方に衝撃を受け、以後その生き様は常に文子の心にあった。
 (白寿記念「堀 文子」私流の生き方を求めて 
    鬼頭美奈子執筆(名都美術館 主任学芸員)より) 

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盆栽桜観察日記(4/15)

2017年04月15日 | 自然

2017.04.15 午前8:35 撮影
色は匂へど散りぬるを

「いろは歌」について
仏教のお経の中 次の言葉をもとにしたといわれています。

諸行無常 ・・「色は匂へど 散りぬるを」
花は咲き誇っていても、やがて必ず散ってしまうようにどんな幸せも色あせてしまう。

是生滅法 ・・「我が世誰ぞ 常ならむ」
いったいこの世で永遠に生き続けることができる人がいるのだろうか。
いや、必ずすべてとわかれてひとりで死んでいかねばならない。

生滅滅已 ・・「有為の奥山 今日越えて」
何のために生きるのか分からない苦しみの人生を今日越えて

寂滅為楽 ・・「浅き夢見じ 酔ひもせず」
迷いの夢から覚めた悟りの世界にでました。

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