帰省から戻る途中、おいしい魚を食べようと、焼津で東名高速を降りました。
魚センターで海鮮丼を食べてから、ふらふら車を走らせていると、花沢の里
とか大崩海岸とか、面白そうな名前のところがあるので行ってみました。
ただの漁港と思ったら大間違い、焼津は日本武尊にさかのぼる由緒ある地名
で、この花沢の里と呼ばれるちょっと現実離れした風景の一角も、万葉の時
代から続く東海道沿いの町だったようです。坂道に沿って長屋門造りと呼ば
れる建て方の家々が静かに佇み、なんともノスタルジックな気分に襲われま
す。土産物屋など全くないので、余計タイムスリップしたような雰囲気が漂っ
ているのでしょう。
万葉集に「やきつべに我行きしかば駿河なる阿部の市道に逢いし児らはも」
(かつて私が焼津に行った時、阿倍の市へ向かう道で逢った娘たちがいたが
今頃どうしていることだろうな)という春日蔵首老という人の歌があり、ここ
にその歌碑が建てられていました。はるばる駿河まで旅をしてきて、地元の
かわいい朗らかな娘たちに行き合ったのでしょうね。目を閉じると、娘たち
の笑いさざめく声が聞こえてくるような。
花沢の里近くに、「東海の親知らず子知らず」と呼ばれているという、その
名も大崩海岸というところがありました。今も海沿いの崖に細い道が通って
いるだけで、事故が絶えないとのこと。昔はさぞ難儀な道だったのでしょうね。