キッチン・トランスレーターつれづれ日記

つれづれなるままに日々のよしなしごとを綴ります。本、風景や花や料理、愛犬の写真などをご紹介。

焼津 花沢の里-大崩海岸

2011-08-07 08:43:46 | 旅行
             

          帰省から戻る途中、おいしい魚を食べようと、焼津で東名高速を降りました。

          魚センターで海鮮丼を食べてから、ふらふら車を走らせていると、花沢の里

          とか大崩海岸とか、面白そうな名前のところがあるので行ってみました。

          ただの漁港と思ったら大間違い、焼津は日本武尊にさかのぼる由緒ある地名

          で、この花沢の里と呼ばれるちょっと現実離れした風景の一角も、万葉の時

          代から続く東海道沿いの町だったようです。坂道に沿って長屋門造りと呼ば

          れる建て方の家々が静かに佇み、なんともノスタルジックな気分に襲われま

          す。土産物屋など全くないので、余計タイムスリップしたような雰囲気が漂っ

          ているのでしょう。

             

          万葉集に「やきつべに我行きしかば駿河なる阿部の市道に逢いし児らはも」

          (かつて私が焼津に行った時、阿倍の市へ向かう道で逢った娘たちがいたが

          今頃どうしていることだろうな)という春日蔵首老という人の歌があり、ここ

          にその歌碑が建てられていました。はるばる駿河まで旅をしてきて、地元の

          かわいい朗らかな娘たちに行き合ったのでしょうね。目を閉じると、娘たち

          の笑いさざめく声が聞こえてくるような。

             

          花沢の里近くに、「東海の親知らず子知らず」と呼ばれているという、その

          名も大崩海岸というところがありました。今も海沿いの崖に細い道が通って

          いるだけで、事故が絶えないとのこと。昔はさぞ難儀な道だったのでしょうね。

             
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こまった鳥の木

2011-08-06 14:51:40 | 
Tree of Birds
クリエーター情報なし
Houghton Mifflin (Juv)

           ある日、ハリーは交通事故にあった鳥を連れて帰り看病します。鳥の図鑑

           によるとグリーン・タフト・トロピカルという鳥。渡り鳥のようです。サリー

           と名付けて、とてもよいお友達になりました。もうサリーと離れることはで

           きません。ところがある日、窓の外を見ると、葉っぱが落ちているはずの木

           が一本、目の覚めるような緑色に変わっています。サリーの友達がやってき

           たのです。それからというもの、鳥たちはハリーをつけ回し、風が吹こうが、

           雨が降ろうが、言い聞かせようが、脅かそうが、木から離れません。「冬が

           そこまで来ているよ。早く飛んで行かなくちゃ」どんどん寒くなって、鳥たち

           はみんな青くなりました。だけど鳥たちは動きません。サリーは部屋の中か

           ら心配そうに見ています。「分かったよ、ぼくの負けだ」ハリーはとうとう窓

           を開けました。すると、鳥たちは一斉に暖かい部屋に飛び込んできました!

         

           絵本の中の動物たちは擬人化されていることが多く、人間のように話した

           リ、考えたりするのですが、この「こまった鳥の木」(邦題)に出てくるおび

           ただしい数の鳥たちは、あくまでも鳥。鳥らしいやり方で、仲間を取り

           戻そうと、少年に対抗します。鳥の目の表情だけで、怒っている、びっ

           っくりしている、寒がっているなんていうのが分かるのは、作者の並々な

           らぬ力量でしょう。寒くなる前に渡っていかなければならなのに、頑固に

           留まって、緑色の体が青くなるところは笑えます。一つ間違えば、ヒッチ

           コックの「鳥」になりそうな題材なのですが、鳥たちの姿があまりにユー

           モラス」で、「がんばれ!」と応援したくなります。結末も温かい、いい

           絵本です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信楽焼の里

2011-08-05 09:34:47 | アート
               

          信楽焼といえば、この狸。巨大なのから極小の物まで、ほんとに町中

          狸だらけでした。良い陶土がとれるので、はるか昔から連綿と続いて

          きた焼き物の里ですが、この狸、イメージ的にはどうなのでしょうね。

          親しみやすく、人寄せには良いでしょうが、あまり高尚とは言い難い。

          1991年5月世界陶芸祭が信楽で開かれていた時、信楽高原鉄道の

          紫香楽宮跡駅の手前で正面衝突の大事故が起こって、たくさんの

          人が犠牲になったのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。私たち

          が訪れたのは平日だったので、観光客もまばらで、こんなところで、

          あんな大事故が、という感じでしたが、その時はいつにない大変

          な人出で対処できなかったことも要因の一つだったと聞きました。

             

               これは中が温泉になっている大狸形の建物。

             

          丘の上にある陶芸の里は、とても広いすてきな場所でした。信楽焼振

          興の熱意が伝わってきます。広大な庭に三つ四つと置かれた陶器の椅

          子は地元の小学生が絵付けしたもので、とてもかわいい。緑の中で良

          いアクセントになっていました。

             

              登り窯や

             

              穴窯も見学できます。

             

              渋い色のお茶碗を買って帰りました。   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏草の生い茂る紫香楽の宮跡

2011-08-04 10:12:36 | 旅行
            

          信楽高原鉄道の人っ子一人いない山中の駅の名は「紫香楽宮跡駅」。

            

              駅からほど近い林の中に宮跡がありました。

            

          「あおによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」と詠まれた

          平城京も、藤原広嗣の乱などで政情不安になり、聖武天皇は都を恭仁

          京へ、さらにこの紫香楽の宮へ移そうとしたのだそうです。なぜこんな

          所へと思わずにいられない山深い辺境です。その理由は今もはっきり

          せず、規模も平城京に比べれば格段に小さかったようです。

            

          信楽の陶器屋のおばさんが「聖武さんも、ここがあんまり山の中やよって

          じきに逃げ帰らはったそうやわ」と言っていたように、火事やら何やら天

          変地異が続いたこともあって、都造営開始からたった4年ほどで、元の

          奈良の都へ戻ったとのこと。都造りに関係した人々は「一体何だったん

          だ」と思ったことでしょうね。

            

          紫香楽の宮は別の場所で、ここは甲賀寺跡だという説もあるようです。

          そういえば、ここは滋賀県甲賀の里。あの忍者で有名な伊賀、甲賀の
          
          甲賀です。ともあれ、鬱蒼とした木立の中に、礎石がたくさん残ってい

          て、1300年も前、束の間にもせよ、ここに日本の都があったのだと思

          うと、不思議な感覚に襲われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする