
快晴の東京駅の散策はすごく楽しいですが、時間帯の関係で駅舎周辺が影に囲まれた状態になってしまったことが難点でした。大正時代にこの駅が完成した時は周囲は荒れ地だったのですが、平成の今は200メートルクラスの高層ビル群に囲まれています。

「丸の内」はその名前の通り江戸城の「本丸の内」、内堀通りと外堀通りの間には幕府の施設が密集していました。明治維新後は建物は取り壊されて原野となっていましたが、大正時代に官営東海道本線が新橋駅から中央停車場(東京駅)に延伸したことによって丸の内は帝都の玄関としての性格を持つようになりました。

現在の中央省庁は皇居の南側の霞が関・永田町一帯に集まっていますが、戦前は丸の内や大手町にそれらがありました。現在大企業や新聞社のビル群が立ち並んでいる大手町一帯には内務省や工部省、陸軍病院などの政府の施設が建っていました。昭和時代に入ると次第に霞が関へ移動していくことになります。

戦前から建設工事が始まり、戦時中は工事が中断していた営団地下鉄(現東京地下鉄)丸ノ内線は丸の内駅舎と東京中央郵便局の間の道路の真下を通過しています。東京の地下鉄として初めて外堀通りの内側を走ることから「丸ノ内線」と名付けられました。

午前中に来れば日の光に輝く赤レンガの壁を撮影することができます。

JPタワーの低層棟は天井がすごく高い! 戦前の時期に造られた建物はどれもそうなのでしょうか?

丸の内駅舎にしても一つ一つの階の天井がすごく高いです。通行人や工事の人たちと比較するとよくわかります。

床版のパネルを取り付ける作業がなされていました。

丸の内の駅前の一等地にあるビル群。JRの線路を挟んだ日本橋のエリアには三越や三井などの東京発祥の企業が集まっているのに対し、こちら丸の内は東京という新しい市場を求めてやってきた大阪発祥の大企業が本社を置いています。三菱、日本生命、産経新聞など…。

駅前広場周辺の道路工事も終わったみたいです。

青空の中にそびえたっている日本生命丸の内ビルは私「緑」が丸の内のエリアの中で最も気に入っている高層ビルの一つです。周囲がミラービルばかりになってきた中で、大理石を模したビルは風格があります。

JPタワー前から撮影した丸の内駅舎です。創建当時の意匠がほぼ原形通りに復原されています。

南ドームと北ドームの周りでは現在、新しい屋根を造る工事が行われています。

尖塔なども忠実に再現されている南ウイング部です。

横断歩道を渡って駅舎に近づいてみます。