梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

恥の日本人、日本人の恥

2015-02-07 12:50:30 | 雑記

ダイアモンドの記事を見た、ポル・ポト政権時代に起きた100万人~200万人に上る虐殺の遺産が今国営歴史館として一般公開されていると言う、人間はなぜ此処まで残虐になれるのか、と言う問いかけに追い詰められて殺さなければ殺されると言う心理からと言う事も書かれていた、生き残った加害者に聞くと実行者は「上の命令に従っただけだ」とち言い命令をしたと思われる者達は「殺せと言った事はない」と言う、
命令されたから無抵抗の者を虐殺した、幼児は近くの木の幹に頭をたたきつけて殺し、泣き叫ぶ母親を多くの兵士が凌辱した上で喉を掻き切って殺害し、生き残っている者に埋めさせたと言う、筆者が言う様に「我々人間は其処まで残虐になれるのか」と思うと同時に「恐らく人間しかやらないだろうな」と思う、猫が傷ついた獲物をいたぶると言うがあれは獲物を捕る訓練だ、なんのメリットも無しに殺すと言う事は先ずない、さらに言うなら同種間での殺戮はあり得ない筈だ、テリトリー争いや繁殖のための争いも殺害はしない、
他の種を殺すのは食餌としての行為だ、蓄えられるようになって人間は種の存続と言う行為から逸脱しているのかも知れない、
筆者はその筆でこう書いている「カンボジア人は同じ国民が犯した負の遺産を国の責任を持って国内外に開示し反省の礎としている、ドイツ人もアウシュビッツを国で管理運営し広く公開し自らの戒めとし2度と起きない事を誓っている、しかし我が国は『南京問題も慰安婦問題も証拠が無いから無かった、過去に認めた政府もあったが反証が見つかったから謝罪はおかしい』と言っているが国民として恥ずかしいのではないか」」と書いていた、
確かにアウシュビッツやカンボジアの様に明らかな形骸が有る訳でもないが恐らく匿名で今生き残っている人々に言葉を発して貰えば多くの状況は解るだろう、無論名前を伏せての発言には信頼性が無いとも言えるが自己の中で耐え難い物である事は容易に想像できる、多くの証言が集まれば当然整合性や集合性が出て来る筈だ、
人間は反省できる生き物だと思う、それが社会性を高めて来た筈だ、事実を見つめて其処から反省し将来の礎とする事は大事な事だ、それを決して「自虐」とは言わない、
同筆で「今出ている多くの自画自賛本を「何故日本人はアジアで此れだけ好かれるのか?」「此れだけ優秀な日本人」云々は日本人を個人に置き換えてみたら解る、「なぜ私はアジアで此れだけ好かれるのか?」「此れだけ優秀な私」等々、こんな事を書いている人が居たら絶対に嫌われるだろうし、こんな本は読む奴も居ない、」と書かれていたが正しくその通り、少し冷静に考えればあれらの本は余りに恥ずかしい、先の大戦を起こした責任は我が日本にあり、その時の政府の考え方、報道の在り方が現在に似通っていると言う、反省だけなら猿でもできる、反省も出来なければ猿にも劣る、有る時期日本文化は「恥の文化」と書かれた事が有った、しかし此処数十年の日本文化は「文化の恥」に成り下がった気がする