アマゾンの特価にフィルムスキャナーが出ていた
偶々(欲しいな)と思っていたら16000円が今回限り1万円になっているので迷わす購入する
17歳の時にミノルタハイマチックセブンと言うカメラを買って以来途中からデジタルになったが未だに楽しんでいるマニアと言えるだろう、
最初はモノクロで富士フィルムとさくらフィルムのSSと言う感度100の物、富士フィルムのネオパンSSが主で時々トライXと言うフィルムを使った、
此方は風景を取るのにUVフィルターと組み合わるとコントラストの強い写真が撮れた、
2年もしないうちにフィルムはカラーになり感度も200~400になってカメラもミノルタスポットマチックと言う一眼レフになりペンタクスSPとなり、
オリンパスペンFが加わり、更にペンタックス6×7を買い、それでも飽き足らず小遣いの大半をつぎ込んでマミヤ6×4.5更にゼンザブロニカ6×6と各々交換レンズを取りそろえ、
マクロから中間リングとやたらに集めたがまさしく「カメラ道楽」である、しかしカメラ自体高額だが更にフィルムにも掛かるしDPEも馬鹿にならない、
デジタルになったら早速買い込んでフィルムカメラは処分してしまった、が少々もったいなかったかな
17歳からの道楽である、ネガフィルムは段ボールに一杯はある、ネガアルバムにして10冊弱を残して処分したがそれでも何となく捨て難く書庫の隅に積んであったがこの際すべてデジタル化をしてみようかと思っていた、
3600DPIなのであまり引き延ばしは出来ないがネガ自体退色が始まっているのでまあ見直す程度で良いだろうとスキャンしておくことにした、
取り敢えず手前のアルバムから整理を始める、子供達が未だ小学校に入る前位からだったが家族以外の人がどうも思い出せない、
それでも何人か懐かしく思い出す人達がいるのだが思いを馳せてみるとその大半が既に鬼籍に入っているのに愕然とした、
私は今72歳、あと一ヶ月すると73歳になる、しかし子供が未だ小学校の頃家族で海水浴に行ったり、或いは飲み屋でおだを上げていた連中である
それが事故だったり病だったりでかなりの人数が亡くなってしまっている、色んな理由で何となく疎遠になっていても訃報だけは届く、
疎遠にしているので(ああ、アイツも亡くなったんだな)程度の感覚だったがこうして改めて色褪せてしまった画像を見ていると感慨ひとしおである、
自分も後何年生きている事やら、医者から糖尿病で「このままだと合併症で大変です」と宣言されて一念発起、1年で数値を完全に平常値に抑え込んで副産物として足腰も大分強くなった、
女房に「最近俺は死なないんじゃないかと思ってるんだが」とジョークを言っていたがこの作業を始めたらどうもそんな気分じゃなくなった、
が、やはり(俺はもしかして死なないんじゃないか)とも考える事にする、女房が「なんで突然そう考えた?」と言われたが特に理由はない
まあ生きているからといって良い事があるかどうかはまたったく解らない、あまり良い事がなさそうなら(ま、死んでもいいか)とも思う
大体死んで辛いのは当人より残された方だ、女房以外はそれほど影響はないだろう、綿々と死に損なうよりさっぱりと往きたいもんだがそううまくはいかないだろうな
偶々(欲しいな)と思っていたら16000円が今回限り1万円になっているので迷わす購入する
17歳の時にミノルタハイマチックセブンと言うカメラを買って以来途中からデジタルになったが未だに楽しんでいるマニアと言えるだろう、
最初はモノクロで富士フィルムとさくらフィルムのSSと言う感度100の物、富士フィルムのネオパンSSが主で時々トライXと言うフィルムを使った、
此方は風景を取るのにUVフィルターと組み合わるとコントラストの強い写真が撮れた、
2年もしないうちにフィルムはカラーになり感度も200~400になってカメラもミノルタスポットマチックと言う一眼レフになりペンタクスSPとなり、
オリンパスペンFが加わり、更にペンタックス6×7を買い、それでも飽き足らず小遣いの大半をつぎ込んでマミヤ6×4.5更にゼンザブロニカ6×6と各々交換レンズを取りそろえ、
マクロから中間リングとやたらに集めたがまさしく「カメラ道楽」である、しかしカメラ自体高額だが更にフィルムにも掛かるしDPEも馬鹿にならない、
デジタルになったら早速買い込んでフィルムカメラは処分してしまった、が少々もったいなかったかな
17歳からの道楽である、ネガフィルムは段ボールに一杯はある、ネガアルバムにして10冊弱を残して処分したがそれでも何となく捨て難く書庫の隅に積んであったがこの際すべてデジタル化をしてみようかと思っていた、
3600DPIなのであまり引き延ばしは出来ないがネガ自体退色が始まっているのでまあ見直す程度で良いだろうとスキャンしておくことにした、
取り敢えず手前のアルバムから整理を始める、子供達が未だ小学校に入る前位からだったが家族以外の人がどうも思い出せない、
それでも何人か懐かしく思い出す人達がいるのだが思いを馳せてみるとその大半が既に鬼籍に入っているのに愕然とした、
私は今72歳、あと一ヶ月すると73歳になる、しかし子供が未だ小学校の頃家族で海水浴に行ったり、或いは飲み屋でおだを上げていた連中である
それが事故だったり病だったりでかなりの人数が亡くなってしまっている、色んな理由で何となく疎遠になっていても訃報だけは届く、
疎遠にしているので(ああ、アイツも亡くなったんだな)程度の感覚だったがこうして改めて色褪せてしまった画像を見ていると感慨ひとしおである、
自分も後何年生きている事やら、医者から糖尿病で「このままだと合併症で大変です」と宣言されて一念発起、1年で数値を完全に平常値に抑え込んで副産物として足腰も大分強くなった、
女房に「最近俺は死なないんじゃないかと思ってるんだが」とジョークを言っていたがこの作業を始めたらどうもそんな気分じゃなくなった、
が、やはり(俺はもしかして死なないんじゃないか)とも考える事にする、女房が「なんで突然そう考えた?」と言われたが特に理由はない
まあ生きているからといって良い事があるかどうかはまたったく解らない、あまり良い事がなさそうなら(ま、死んでもいいか)とも思う
大体死んで辛いのは当人より残された方だ、女房以外はそれほど影響はないだろう、綿々と死に損なうよりさっぱりと往きたいもんだがそううまくはいかないだろうな