梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

昭和歌謡と不倫と恋と

2020-12-20 12:13:49 | 昭和の頃
流行り歌の歌詞は自分には出来ないがちょっとあこがれるというようなシチュエーションが多い、
ムード歌謡と言うジャンルが流行った時期があった、
シチュエーションは殆どがクラブなどの女性が主役で客との恋愛ゲームと少々の本気、その感情が期待できるから客も疑似恋愛を楽しんでいるのだろう
商売の上で互いに本気をにおわせての遊び、しかし彼女の方が本気になったというかたちを歌にすることで馬鹿な男を本気にさせて貢がせる、
クラブやスナックでこんな歌詞をデュエットするのにちょうど良い塩梅
(あの娘は俺に惚れていたんだ)と勝手に思い込んで「泣いて昔が」なんかを歌う奴もいたかもしれない、
もう一つは「為さぬ恋」バージョンだがこれは冷静に考えれば(歌を冷静に考えてどうする!)いわゆる”不倫“である
「山茶花の宿」では「愛しても愛しても、他人の妻」と「抱いてください思い切り」だ、
もう一つは諦めてそれほど好きでもない男と一緒になるパターン
「あずさ5号」も「明日私は旅に出ます、あなたの知らない人と二人で」と言うが彼女は此れから一緒に行く人とは心の中で本当に好きな人を思っている
しかし現実世界ではこんな事は当たり前だろう、しかしそれを歌い上げられたら知らない男は良い面の皮である、
だが時間がたてば大抵(いい思い出)でしかない、無論本人にとってではあるが
古いネガを整理しているといろんな顔が出てくる、
何もなかった娘、気持ちは有ったがそうならなかった娘、恋愛感情は無かったがそういう関係になった娘、
“惜しかったな“と言う様な子も何人か居たが結局自分の野暮さや勇気のなさから”きれいな関係“で終えた子も何人も居たが今考えると大変失礼な事だったかもしれないしこっちでは”割り切った関係”のつもりだったが可哀そうなことをしていたかもしれない、
恋愛は関係が出来てからが本物だと思う、
ソクラテスが弟子の若者に「未だ結婚していないのか、君はは人生の楽しさの半分を未だ味わっていない、但し苦しみの半分もな」と言ったという
ソクラテスの奥方クサンチッペは歴史的にも有名な悪妻で「彼女がいなければソクラテスは哲学者にはならなかった」と言われている
がそれでも「人生の天国」の半分は恋愛のドロドロした本質なんだろう、
プラトニックラブは美しいが彼女が誰かに抱かれてしまえばそれで終結する、
夢はないが関係が出来なければいずれは消滅するのが“ラブ“であり、心の不倫でもある