窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず
夢はむなしく消えて 今日も闇をさすろう
遠き想いはかなき希望(のぞみ) 恩愛我を去りぬ
今は黙して行かん なにをまた語るべき
さらば祖国愛しき人よ 明日はいずこの町か
明日はいずこの町か
小林旭が歌って随分流行った、
調べたら旅順高等学校の寮歌だそうだ
先日の惜別の歌も寮歌だったがこのころは寮歌がはやっていた
ああ、玉杯に花受けて、も寮歌だったがどこの寮歌だったか
中卒の自分には大学寮歌と言うのは全く縁のない歌なんだが単純に好きな歌が多かった
小林旭の歌はこのほかに「さすらい」があった、まだカラオケのないころアカペラで(そんな言葉すらなかったが)随分うたったものだった
歌謡曲には憧れがあるのか「北」」の付く歌が多い、都会生活に疲れ、あるいは落剥してむなしく北に帰ると言う歌詞が多かったが其れが哀愁を帯びて心に沁みてゆくのだろうか、
新沼謙治の「北へ帰ろう」とか裕次郎の「北の旅人」とか、こっちは旅人だが
「津軽海峡冬景色」も同じ吹雪の津軽海峡を北に帰ると言う歌詞だ、
知床慕情も森進一の襟裳岬も流行ったが私は北原ミレイの石狩挽歌が好きだった
小学校の頃ロカビリーと言うやつが流行って恋の片道切符や砂に書いたラブレターなんかが先輩たちの中学生が夢中で歌っていたのだが何方かと言えば日本の歌謡曲の方が馴染みがあった、
橋幸夫の潮来笠が流行ったころだが少し前の歌謡曲の方が覚えている
20代の頃「赤いランプの終列車」を飲み屋で歌ったらママさんに「あんた一体幾つよ」と言われたことがある
記憶は嗅覚が一番印象に残ると言うのが脳科学らしいがやはり昔の愛唱歌を思い出すと当時の事を鮮明に思い出すのは私だけだろうか、
そう言えばカラオケも随分行ってないな、コロナ騒ぎではあんな狭いところで大声を上げるなんて論外だ、
かと言って74歳で「一人カラオケ」と言うのもね、
あの頃騒いでいた悪友達も果たしていつまで騒げるか、生きていたとしても歌を歌える様な体力が残っているのか
早く収まってくれないとなあ