梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

縮緬皺が

2017-03-03 17:34:03 | 雑記
気が付くともう週末だ、本当に一週間が早い、一月も一年も段々早くなる、動きが鈍くなる一方なのに時の経つのはどんどん早くなる、歳をとる訳だ、
先日なんかの拍子に自分の手の甲が細かな皺が増えている事に気が付いた、何というか渋紙を揉んだような縮緬ジワがよる、
「縦にしわよるから傘ばばあ、横にしわよる提灯ばばあ、縦横無尽は縮緬ばばあ」なんて落語があったがまさしく縮緬だ,しかしまさか手前の手の甲で見るとは思わなかった、
幸い顔にはまだ出ていないが要は太っているせいでまだ皮に余裕がないせいだ、ダイエットなんかやった日には恐らく顔の皮が彼方此方が波打ってしまうんだろうな、
気持ちは若いつもりでも動きはどうもいただけない、一番感じるのは足があがっていない事だ、
我が家のお勝手は板じきなので小さなキッチンマットが流しの前に置いてある、このマットの下に足を突っ込んでしまうのだ、それもスリッパを履いていて見事にマットの下に入る、これはかみさんも同じで「足でマットを持ち上げろと言われても無理なのに何でこんなにうまくはいる?」と言う様な見事な摺足である、
同じ様に手も本人が思って居るのと違うコースを描く、手が当たる事はほとんどないのだがやかんの様なものをもって例えば蛇口の上を意識しないで超えようとすると底をこすったりする、その時は気を付けるのだが又同じことをやる、
電車に乗るのだが大抵の人は階段でも前を見たまま自然に歩いているのだが自分はどうしても足を下ろす位置を確認するように足元を見ていないと怖い、特に下る時は怖い、
スマホを見ながら歩いている連中を見ると腹が立つのと同時に(やっぱりすごいな)とも思う、
いきなり駆け出すと自分が考えているより足が就いてこない事に呆れてしまう、見ている人は「元気じゃないですか」と言うのだが内実はそんなもんである、
先月運転免許の更新に行って来た、何年か前から返してくれた免許書を取っている、試しに数えたらちょうど10枚たまっている、一番古いのは「「昭和66年の誕生日まで」だが次が「平成9年の誕生日まで」なので2枚が不明だが何処かにあるはずだ。
今回はゴールドで5年間更新は無い、次の更新は74歳になる、タッチの差で高齢者免許にはならないが果たして自分がその能力を維持できるのかいささか不安になってきている、しかしそれこそ移動手段として車が重要にはなるだろうが今高齢者の運転能力が問題になっているので自己に甘くならない様にかつ能力が落ちない様に気を付けなければなるまいな、
しかし現状で言えば、アクセルとブレーキの踏み違いはどうしても理解は出来ない、18から運転していると考えてアクセルワークをしている訳ではない、アクセルからブレーキに足の移動は必ず足を引き上げて踏む癖がついている、(車を止めよう→アクセルを離しブレーキを踏もう)などと考えている訳ではなく操作している、アクセルとブレーキは同じ右足で操作するから車が意志と違う動きをすれば足を離すのとペタルを“踏みかえる”のは一連の動作となっている、車が走り出して止めようとそのまま踏み込むと言うのが全く理解できないのだが、これは先に書いた運動能力とは違う問題かもしれない、
自動運転の開発が急激に進んでいるらしい、しかしあくまでアシスト機能だと言う、問題はその事で注意力散漫になりはしないのかと言う事だが、飲酒運転はどうなるんだろう


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