今回から「転移後シリーズ」です。
転移後というと、なんか読むのコワイ、暗そう、知りたくない・・・、という声も聞こえてきそう
ですが、私の場合、実際転移以後一番辛かったのは、1年前ごろまさにこのブログを始めたころなんです。
それまでの数年間は、手術や抗がん剤のオンパレードだったけど、割と楽しい数年でした。
だから、病状や治療経過だけを追うと、「壮絶な・・」印象を受けるかもしれませんが、
アッピアのリアル転移ライフを淡々と綴っていきますのでご安心を。
2005年2月中旬、肝臓転移巣のラジオ波治療とハーセプチン+タキソール初投与のため、
1週間程度の予定で入院した。今回は実家の実母に子供の世話を頼み、入院中はできるだけ自力で
乗り切るつもりである。
乳がん手術後、1年ちょっとで2度目の入院とは、ちと予想より早いか。
今回も7人部屋。だけど前回手術時の入院の時ほど濃厚な(?)コミュニケーションがなくて
かえってホッとした。
まずは淡々と入院生活に入る。気持ちは、初回入院の時と大違いで落ち着いている。
最初の検査は肝臓のエコーで、腫瘍の場所や形・大きさを調べる。
記憶では2~3回検査されたような気がする。突然、「今来て」、と診察室に呼ばれて、
5~6人ほどのドクター達に囲まれ、皆でエコーのモニター見ながらブツブツ言っている。
「なるほど・・・。ここにあるんだ・・・。」等など。
そこには、今の私の主治医もいた。なんかみんな興味深々な様子。
後で結果を聞くと、なんと・・・、
「肝臓の端っこ、心臓に近い場所に転移巣があり、ラジオ波の針を刺すと場所的に危険なので
ラジオ波治療は難しいですね。」
つまり今回はラジオ波治療はできず、抗がん剤での治療ということになった。
うーん、残念、と言うべきなのだろう。でも余計な(もしかしたら痛いの?)治療を受けないで
済んだので、ホッとしたというのも正直なところだ。
さあ、あとは大人しく抗がん剤を受けよう。
いよいよ、初のハーセプチンとタキソールの投与が始まった。
術後のCEFのように気持ち悪くなったりはしない、と言われているので、緊張感はなかった。
副作用としては、翌日高熱が出た、ぐらいか。
1週間後に退院。私の中では、いよいよ再発治療がスタートするのだ、
と身構えていたが、気が付いたら既にスタートしていた、と言う感じだった。
入院中に、結婚4周年を迎えた。病室でお祝いというわけにはいかないので、スルーして退院後に何かしよう。
まだ4年しか経っていないのに、いろいろなことがありすぎた。
たまに結婚式の写真を見る。3年以内にがんの告知を受け、さらにその1年以内に再発転移の告知
を受けるなんて、誰が想像しただろう。もっと言うと、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた写真、
その2,3カ月後には、リンパ節転移を伴う進行乳がんになるのだ、しかも放置したまま。
だけど、そんな恐ろしい運命の告知後8年経っても、一人旅したり、エアロビしたり元気にお気楽に
過ごしているのも事実。人生は、運命とはわからないものだ。
退院後は、今回は手術はなかったので、すぐ普段通りの生活に戻った。
弟家族の家に遊びに行ったり、ママ友で集まったり、3月なので家族で梅を見に行ったり。
そしてもうすぐ2歳になる息子はもう好奇心旺盛で、家の中のコンセントというコンセントの
カバーを剥がしたり(他人の家でもやってしまう!)、引き出しという引き出しをすべて出して、
シャープペンやボールペンの類を分解したり、カセットッデッキ(今はもうないよなあ)の中に
ゴミというゴミを突っ込んで壊したり・・・。数え出したらキリがない。チビッコハカイダーなのである。
そんな子供の姿を見ていると、面白すぎて病気の事なんかどうでもよくなる、ことが多い。
足もしっかりしてきたし、言葉ももうすぐ。何かやらせたいな、ということで、定番のリトミックに通い出した。
通院は毎週、ハーセプチンとタキソール、4週毎にアレディア(ゾメタの前身)。
いわゆる生活パターンができてきた、というところだった。
転移騒動の長く苦しい冬が終わり、4月、春が来た。(手帳をじっくり見ると・・・)
平日は、ウィッグ作りに行ったり、子供のリトミックに行ったり、公園に連れて行ったり、
通院日は母に来てもらい子供の世話を任せてついでに夕飯を作ってもらったり。
休日は、4月でお花がきれいな季節なので、桜、チューリップなどを見に行った。
特に昭和記念公園のチューリップは、まるでオランダの公園(行ったことないけど)のように
色とりどりで鮮やかで大好きなのだ。
4月末には、家族で初めて潮干狩りにも行った。子供は怖がって海には入れず、交代に抱っこしながらの
あさり取りで、翌日身体中が痛かった。というか、白血球が低い状態で潮干狩りなんていいんだっけ?
こうして転移ライフは順調に(?)スタートした。
GWには、子連れでの初旅行を計画した。
さて、抗がん剤の効果の方はどうなのか・・・。
つづく・・・。
再発転移しても普段通りの生活が送れる、ことをお伝えしていきたいです。
応援クリックお願します。励みになります。
![にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ](http://sick.blogmura.com/breastcancer/img/breastcancer125_41_z_panda.gif)
転移後というと、なんか読むのコワイ、暗そう、知りたくない・・・、という声も聞こえてきそう
ですが、私の場合、実際転移以後一番辛かったのは、1年前ごろまさにこのブログを始めたころなんです。
それまでの数年間は、手術や抗がん剤のオンパレードだったけど、割と楽しい数年でした。
だから、病状や治療経過だけを追うと、「壮絶な・・」印象を受けるかもしれませんが、
アッピアのリアル転移ライフを淡々と綴っていきますのでご安心を。
2005年2月中旬、肝臓転移巣のラジオ波治療とハーセプチン+タキソール初投与のため、
1週間程度の予定で入院した。今回は実家の実母に子供の世話を頼み、入院中はできるだけ自力で
乗り切るつもりである。
乳がん手術後、1年ちょっとで2度目の入院とは、ちと予想より早いか。
今回も7人部屋。だけど前回手術時の入院の時ほど濃厚な(?)コミュニケーションがなくて
かえってホッとした。
まずは淡々と入院生活に入る。気持ちは、初回入院の時と大違いで落ち着いている。
最初の検査は肝臓のエコーで、腫瘍の場所や形・大きさを調べる。
記憶では2~3回検査されたような気がする。突然、「今来て」、と診察室に呼ばれて、
5~6人ほどのドクター達に囲まれ、皆でエコーのモニター見ながらブツブツ言っている。
「なるほど・・・。ここにあるんだ・・・。」等など。
そこには、今の私の主治医もいた。なんかみんな興味深々な様子。
後で結果を聞くと、なんと・・・、
「肝臓の端っこ、心臓に近い場所に転移巣があり、ラジオ波の針を刺すと場所的に危険なので
ラジオ波治療は難しいですね。」
つまり今回はラジオ波治療はできず、抗がん剤での治療ということになった。
うーん、残念、と言うべきなのだろう。でも余計な(もしかしたら痛いの?)治療を受けないで
済んだので、ホッとしたというのも正直なところだ。
さあ、あとは大人しく抗がん剤を受けよう。
いよいよ、初のハーセプチンとタキソールの投与が始まった。
術後のCEFのように気持ち悪くなったりはしない、と言われているので、緊張感はなかった。
副作用としては、翌日高熱が出た、ぐらいか。
1週間後に退院。私の中では、いよいよ再発治療がスタートするのだ、
と身構えていたが、気が付いたら既にスタートしていた、と言う感じだった。
入院中に、結婚4周年を迎えた。病室でお祝いというわけにはいかないので、スルーして退院後に何かしよう。
まだ4年しか経っていないのに、いろいろなことがありすぎた。
たまに結婚式の写真を見る。3年以内にがんの告知を受け、さらにその1年以内に再発転移の告知
を受けるなんて、誰が想像しただろう。もっと言うと、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた写真、
その2,3カ月後には、リンパ節転移を伴う進行乳がんになるのだ、しかも放置したまま。
だけど、そんな恐ろしい運命の告知後8年経っても、一人旅したり、エアロビしたり元気にお気楽に
過ごしているのも事実。人生は、運命とはわからないものだ。
退院後は、今回は手術はなかったので、すぐ普段通りの生活に戻った。
弟家族の家に遊びに行ったり、ママ友で集まったり、3月なので家族で梅を見に行ったり。
そしてもうすぐ2歳になる息子はもう好奇心旺盛で、家の中のコンセントというコンセントの
カバーを剥がしたり(他人の家でもやってしまう!)、引き出しという引き出しをすべて出して、
シャープペンやボールペンの類を分解したり、カセットッデッキ(今はもうないよなあ)の中に
ゴミというゴミを突っ込んで壊したり・・・。数え出したらキリがない。チビッコハカイダーなのである。
そんな子供の姿を見ていると、面白すぎて病気の事なんかどうでもよくなる、ことが多い。
足もしっかりしてきたし、言葉ももうすぐ。何かやらせたいな、ということで、定番のリトミックに通い出した。
通院は毎週、ハーセプチンとタキソール、4週毎にアレディア(ゾメタの前身)。
いわゆる生活パターンができてきた、というところだった。
転移騒動の長く苦しい冬が終わり、4月、春が来た。(手帳をじっくり見ると・・・)
平日は、ウィッグ作りに行ったり、子供のリトミックに行ったり、公園に連れて行ったり、
通院日は母に来てもらい子供の世話を任せてついでに夕飯を作ってもらったり。
休日は、4月でお花がきれいな季節なので、桜、チューリップなどを見に行った。
特に昭和記念公園のチューリップは、まるでオランダの公園(行ったことないけど)のように
色とりどりで鮮やかで大好きなのだ。
4月末には、家族で初めて潮干狩りにも行った。子供は怖がって海には入れず、交代に抱っこしながらの
あさり取りで、翌日身体中が痛かった。というか、白血球が低い状態で潮干狩りなんていいんだっけ?
こうして転移ライフは順調に(?)スタートした。
GWには、子連れでの初旅行を計画した。
さて、抗がん剤の効果の方はどうなのか・・・。
つづく・・・。
再発転移しても普段通りの生活が送れる、ことをお伝えしていきたいです。
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再発治療開始、息子さんは可愛い盛りなのに、治療経過は壮絶なほど・・・。
それでも割と楽しい数年間だったとサラリとおっしゃること、なんとなくわかります。
私も再発した時、いきなり死神が超特急で近寄ってくるような錯覚に陥りましたけれど、そんなのとんでもない!
焦らずあきらめずしぶとく治療を続けていれば、きちんと治療が生活の中に組み込まれ、次第に生活のリズムが出来て、いつもと同じ普段通りの生活を送ることが出来る、本当にそのとおりです。
私自身、勤続23年目に再発治療開始と息子の中学受験が重なったので、いきなり治療専念というブレーキを踏むわけにいきませんでした。
最初はホルモン剤とゾメタで3週に1度の通院で留め、5か月して観念して週1ハーセプチン開始、その4か月後に大量タキソテール6クール。このタイミングで初めて仕事を休職しましたが、半年して復職してもうすぐ3年になります。今も3週に2度の通院をしながらそれ以外の日はフルタイムで働けています。
もちろんいつまでこうした生活が送れるか神のみぞ知る、ですが、私も一人でも多くの方に「再発」イコール「死」では決してないということを知って頂きたいと思っています。
お互いにこれからも今のまま、元気にお気楽に楽しい毎日が過ごせますように・・・。
再発後に普段通りの生活を送っていらっしゃるロッキングチェアさんも、まさにサバイバーの体現者ですよ。
そうですよね、治療はすべてではなく、生活の一部になって初めて、普段通りの生活が送れるのだと思います。
でもこれも、薬が奏功して、副作用が重くない場合なのでしょうか。大事なことは、普段通りの生活を送れるよう、QOLを落とさないよう、自ら工夫をすることだと思います。
ロッキングチェアさんは、上手に工夫して、お仕事と両立されていてお見事です!無理をしてほしくはありませんが、是非、再発患者=フルタイムの仕事と両立、を示し続けていってください。
そうそう、前回、リラクザーション施設の件、
病院のHP見ました。家からは駅までの直通バスが出ているので、一度探検しに行こうかな、
と目論んでいます・・・!
反対に予想できたら怖くってやってらんないけど…
私の場合、生活パターンが確立されてくると、治療も受け入れやすくなったような感じだったな。大事だよね、リズムがつくのって。
私はアッピアさんを見ていて「再発」の概念が変わったよ。
もちろん辛いこと苦しいことあると思うんだけど、やりたい気持ちがあれば何でもできるんだよね。潮干狩りはビックリしたけど~^^;
これからもジャンジャン人生楽しもうね!
そこは、知恵と工夫だと思う。
潮干狩りは、今考えても無謀だったかも。
白血球のこととか無頓着だったんだよね、今でもそうだけど。
まだまだ楽しいこといっぱいしよう!
私も2人目授乳中に左乳がん、その後二年後に右乳がん、昨年再発してしまい、今年、左からは五年を迎えるサバイバーです。
乳がんになった時には、一歳と0歳だった子たちも、この春には、上の子が小学生になります。
アッピアさんのブログに出会い、再発後もQOLをおとすことなく、日々生活を送られていることを知り、とても力をもらいました。
昨年、再発の時には、死が目の前にやってきたのですが、抗がん剤の治療のおかげで今は転移が見えなくなるまで、効いてくれ、まだまだ生けると日々楽しめるようになりました。
アッピアさんのブログもまた、私に生けると力を貰えます。
アッピアさん、ありがとう。
また、コメさせてくださいね。
な、なんと、授乳中に乳がん発覚、お子さんの年齢も近いし、しかもかずさんは左もなのですね。
数々の困難を乗り越えてきたのですね。
でも再発治療が奏功しているなら、これからもたくさん楽しい事が待っていますよ。
命の大切を知ったときからの時間は、それまでの何十倍も濃い時間だし、楽しさも倍増するよ。
またいつでも遊びにきてくださいね!