アッピア夫です。
あの悪夢の日からちょうど1ヶ月となりました。長かったような短かったような・・・
少なくとも時間が経って、これまでの出来事をより冷静に振り返ることが出来るようになりました。
前回の続きとなりますが、病院に駆けつけてから「緊急手術」までのことを書きたいと思います。
タクシーを降り、息子の肩を借りながら片方の手で登山用のストックを杖代わりにして、
ヨタヨタと病院の玄関に入って来る姿は、相当異様な光景だったのでしょうね。
時代劇で武士が最期を遂げる時、刀を杖代わりに倒れ込む寸前のような感じでしょうか・・・
玄関にいた方々はさーっと私達をよけ、病院のロビーにいた方々のたくさんの視線を浴びたことを感じました。
案内カウンターにいた三人のスタッフが一斉に駆け寄り、首が折れそうな位傾いている息子に替わり、
二人が私の両肩を支えてくれて、もう一人の方がすぐに車イスを持って来てくれました。
事情を話すと、整形外科の外来のところまで連れて言ってくれて、後のことは全てやってくれました。
それにしても、こんな状態で病院に駆けつけても、自力で来たのでまずは外来に行くんですね。
後に、友人の看護師に状況を伝えたら「その場合は救急車でしょ!」と返されましたが・・・
取り敢えずはホッと一息ついて、診察を待つ間に時計を見るともうお昼の11時になっていました。
夜中の1時頃に目覚めてからもう10時間も経っていたとは・・・
10時間も経てばもう1日が終わったような気分ですが、その日はまだまだ終わりません。
その後、医師の診察を経て当然そのまま「緊急入院」となり、ベッドで部屋に運ばれて行きました。
息子は二日後に中学2年生の修了式を迎えるため、その日は有志の生徒でのクラスの打ち上げが行われていました。
「もう打ち上げに行っていいよ。今日は有難う。」「手術が決まったら連絡する。」と帰しましたが、
結局その日の夜に「緊急手術」を行うことが決まりました。
息子も楽しみにしていた打ち上げなのでもう呼び戻すことはせず、手術後目覚めた翌日に事後報告をすることに・・・
手術自体は、まず患部をよりはっきりとさせるために「造影剤MRI」を受けてからとなりましたが、
造影剤が身体に入った途端に、元々痛い肋骨にこれまで経験したことのないような激痛が走りました。
「イタい!! 肋骨に、肋骨に、あり得ない激痛が・・・!」
MRIの手前でうつ伏せに寝ていましたが、飛び上がる位の勢いで四つん這いになって叫んでいました。
その後、肋骨の痛みも治まり、疲れ果ててほぼ眠った状態でのMRIも終わりようやく手術となりましたが、
当然のことながら、その後のことは麻酔で記憶がありません。
どれくらい眠っていたのか分かりませんが、手術後に目が覚めた翌日は、
色々なもので武装されながら、だだっ広い部屋に一人ポツンと寝かされていました。
しばらくして、主治医が透明な袋に入った摘出後の腫瘍を持って来てくれ、
昨夜11時位に手術が終わったこと、無事に腫瘍を摘出したことなどを説明してくれました。
「昨日は夜中まで本当に有難うございました。」
主治医は、腫瘍を見せながら「写真でも撮っとく?」といたずらっぽく笑っていましたが、
さすがに記念写真にする気にもなれず、「いえ、止めておきます。」と断りました。
「それにしても昨日は長い一日だったな~」と、主治医が行った後に頭の中でつぶやいていました。
昨日は、もしかしたらこれまでの人生の中で一番長く感じた一日だったかも知れません。
すぐにまた睡魔に襲われ、その日はこれまでの睡眠不足を一気に取り戻すかのように昏々と眠り続けました。
やっと闘いが終わった安堵感もあったのでしょうね。
しかし、闘いが終わったのもつかの間・・・今度は今にも続く後遺症との闘いが始まることになります。
何か連載小説のようになりましたが、次回は後遺症も含めて術後の入院生活について書きたいと思います。
2018年4月20日
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あの悪夢の日からちょうど1ヶ月となりました。長かったような短かったような・・・
少なくとも時間が経って、これまでの出来事をより冷静に振り返ることが出来るようになりました。
前回の続きとなりますが、病院に駆けつけてから「緊急手術」までのことを書きたいと思います。
タクシーを降り、息子の肩を借りながら片方の手で登山用のストックを杖代わりにして、
ヨタヨタと病院の玄関に入って来る姿は、相当異様な光景だったのでしょうね。
時代劇で武士が最期を遂げる時、刀を杖代わりに倒れ込む寸前のような感じでしょうか・・・
玄関にいた方々はさーっと私達をよけ、病院のロビーにいた方々のたくさんの視線を浴びたことを感じました。
案内カウンターにいた三人のスタッフが一斉に駆け寄り、首が折れそうな位傾いている息子に替わり、
二人が私の両肩を支えてくれて、もう一人の方がすぐに車イスを持って来てくれました。
事情を話すと、整形外科の外来のところまで連れて言ってくれて、後のことは全てやってくれました。
それにしても、こんな状態で病院に駆けつけても、自力で来たのでまずは外来に行くんですね。
後に、友人の看護師に状況を伝えたら「その場合は救急車でしょ!」と返されましたが・・・
取り敢えずはホッと一息ついて、診察を待つ間に時計を見るともうお昼の11時になっていました。
夜中の1時頃に目覚めてからもう10時間も経っていたとは・・・
10時間も経てばもう1日が終わったような気分ですが、その日はまだまだ終わりません。
その後、医師の診察を経て当然そのまま「緊急入院」となり、ベッドで部屋に運ばれて行きました。
息子は二日後に中学2年生の修了式を迎えるため、その日は有志の生徒でのクラスの打ち上げが行われていました。
「もう打ち上げに行っていいよ。今日は有難う。」「手術が決まったら連絡する。」と帰しましたが、
結局その日の夜に「緊急手術」を行うことが決まりました。
息子も楽しみにしていた打ち上げなのでもう呼び戻すことはせず、手術後目覚めた翌日に事後報告をすることに・・・
手術自体は、まず患部をよりはっきりとさせるために「造影剤MRI」を受けてからとなりましたが、
造影剤が身体に入った途端に、元々痛い肋骨にこれまで経験したことのないような激痛が走りました。
「イタい!! 肋骨に、肋骨に、あり得ない激痛が・・・!」
MRIの手前でうつ伏せに寝ていましたが、飛び上がる位の勢いで四つん這いになって叫んでいました。
その後、肋骨の痛みも治まり、疲れ果ててほぼ眠った状態でのMRIも終わりようやく手術となりましたが、
当然のことながら、その後のことは麻酔で記憶がありません。
どれくらい眠っていたのか分かりませんが、手術後に目が覚めた翌日は、
色々なもので武装されながら、だだっ広い部屋に一人ポツンと寝かされていました。
しばらくして、主治医が透明な袋に入った摘出後の腫瘍を持って来てくれ、
昨夜11時位に手術が終わったこと、無事に腫瘍を摘出したことなどを説明してくれました。
「昨日は夜中まで本当に有難うございました。」
主治医は、腫瘍を見せながら「写真でも撮っとく?」といたずらっぽく笑っていましたが、
さすがに記念写真にする気にもなれず、「いえ、止めておきます。」と断りました。
「それにしても昨日は長い一日だったな~」と、主治医が行った後に頭の中でつぶやいていました。
昨日は、もしかしたらこれまでの人生の中で一番長く感じた一日だったかも知れません。
すぐにまた睡魔に襲われ、その日はこれまでの睡眠不足を一気に取り戻すかのように昏々と眠り続けました。
やっと闘いが終わった安堵感もあったのでしょうね。
しかし、闘いが終わったのもつかの間・・・今度は今にも続く後遺症との闘いが始まることになります。
何か連載小説のようになりましたが、次回は後遺症も含めて術後の入院生活について書きたいと思います。
2018年4月20日
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