波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

8年前乳がん発覚時のこと【10最終回】・・・再発転移発覚

2012-02-23 08:33:54 | 8年前乳がん発覚時のこと
2004年10月に入り、涼しくなり、治療のための通院、子供との生活、友人とのランチなど、
バランスの取れた過ごし方が少しはできてきていた。

11月には一通りの検査を受けた。採血、腹部エコー、胸部レントゲン。
まあ、大丈夫でしょう、とあまり緊張せず診察室へ・・入って椅子に座るなり、中堅女医が
パソコンの画面を変えた。なんか嫌な感じ。エコー、レントゲンの結果は問題ないとのこと。
採血の結果は・・・ここでパソコンの画面を先ほどの画面に戻した。やはり。腫瘍マーカー
CEAの数値が赤色になっている。良く見ると、基準値を超えていた。さらによく見ると、ここ
数か月で少しづつ上がっていたではないか。

ついに、ついにこの時が来たのか。そういうことなのか。
私「再発・・・てことですよね。」
中堅女医「うーん、マーカー値だけでは何とも言えないねえ。検査してみないと・・・。」
いつかは来ると思っていたが、今日来るとは想定していなかったので、心の準備が全くできていなかった。
でも大丈夫、こういうことは判っていたから。うんうん、落ち着こう。

だが、パソコン画面の赤い数値を眺めているうちに、なんかクラクラしてきた。
うっ、気持ち悪い、ズルっ、椅子から落ちてしまった。
私「す、すいません、トイレ行きたいです。」
先生、「え、うんち?」 私「いやあ、なんか気持ち悪くて・・・。」
車椅子でトイレへ。うんちではない。とりあえず頭低くしてじーっとしていた。脳貧血かな。
やっぱりショックだったのかな。まだわからないのに。私ってダメだ。
診察室に戻って、少し落ち着いた。必然的に詳しい検査のオーダーが入った。
CT、脳MRI、骨シンチ。年明けにはPET/CTも。

実は細かいところはよく覚えていないのだが、結果は、CTはグレーのようだった。
グレー、って何がどう怪しいのかわからないが、そんなあいまいな結果のまま、お正月を迎えた気がする。
私「検査の結果ははっきりしないのですが、年末は大阪に帰ります。」と義母に伝えたことは覚えている。
かといって憂鬱なお正月を過ごしたというわけでもなく、恐らく検査疲れでもうどうでもよくなっていた
のかもしれない。
何しろ、1年前は、突然の乳がん告知、年明け手術でドタバタだったから、今年こそはゆっくり
帰省して、孫の顔を義両親にも見せたい、と思っていたのだ。
義母は、私の事をとても心配していたが、私はもう転移覚悟で、あまり深く考えていなかった。

そして年が明けて2005年。
骨シンチでひとつクロが出た。
ベテラン女医 「骨のここ、一箇所だけホントに一箇所だけ(胸椎3)黒くなっているのね。
ここを薬で治療して行きましょう。・・・・」
え・・・つまり骨に転移したっていうことよね。そんな明るくさらりと。

脳はシロ、転移なし。

1月下旬のPET/CTでとどめがさされるのか。
・・・手帳を見ると、具合が悪かったのか、結果が心配だったのか、主治医受診日の前に病院に行き、
別の医師を受診している。そこで覚えているのは、しつこくPET/CTの結果を聞いていたことだ。
医師「・・・、主治医の先生から聞いてもらわないと。・・・まだはっきりとはわかりませんが、
   肝臓に集積が見られますね。」

か・ん・ぞ・う・・・。来たか。肝臓。早くも重要臓器。

翌週のベテラン女医受診日に、改めて、肝臓転移を告げられた。ダンナも同席していた。
ここ数カ月の検査検査で、既に再発転移の心づもりはある程度できていたのか、ショックはあまり
なく、「やっぱり」という感想。

治療については、意外な提案があった。
肝臓をさらにMRIで詳しく調べ、可能ならラジオ波で焼くという治療をやってみましょう」
ということだった。
抗がん剤は、ハーセプチンとウィークリータキソール、アレディアに決まった。
最初は入院で行う。

再発転移確定。術後1年。普通に考えれば早いのだろうが、私の場合は想定の範囲内。
当然家族は相当ショックを受けていた。でも両親や義父母は「がんは転移したら治らない」
ということはよくわかっていなかったかもしれない。いやそう考えたくなかったということだろう。

私は・・・。転移かも、と思った時は衝撃が走ったが、検査を繰り返して転移が確定した頃には、
だいぶ落ち着いていて、正直ホッとした部分もあった。
つまり私が恐れていたのは、“いつどういう形で転移するのか”であって、再発転移することは
ほぼわかっていたので、今回ケリがついて、治療方針も告げられて、ある意味気持ちが休まった
のかもしれない。

もう転移してしまったのだから恐れることはない。
「ひょっとしたら治るかもしれない」とかすかな希望を抱く必要もない。
周りから「治ると信じればきっと大丈夫よ。」と気休めにもならないことを言われることもなくなる。
「ほーら、もう転移したのだから、私治らないんだよ。」
と開き直れる。ホントにどういう性格じゃ。

転移して安心する、ってかなり変。だけど、不思議な事に、よーし、抗がん剤ガンガンやって
まだまだ頑張るぜい、というような戦闘モードになっていたのも事実。

恐らく私の場合は、最初の乳がん告知の時に、再発転移も含めてすべての不安・恐怖を
感じてしまったので、再発告知の時は衝撃が少なくて済んだのかもしれない。

まあ、とにかく乳がん生活第2ラウンドが早くもスタートするのだ。

つづく・・・。

今回で、「8年前シリーズ」は終わりです。次回から、「転移後シリーズ」を引き続き書いていきますので、
どうぞお付き合いください。





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14 コメント

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何となくわかります (大家族)
2012-02-23 11:32:41
アッピアさんの気持ちは何となくわかるような気がします。
私の場合は、全摘でリンパ節転移ゼロ、ホルモン陽性、でホルモン剤とリュープリン開始・・主治医も転移確率は低いですね。
って言っていたのに、術後半年で、肝臓と鎖骨上のリンパ節に転移なんて。。
寝耳に水状態の再発告知でした。
でも、受け入れるしかないのです。
悪い方にばかり考えても一日が過ぎていくなら、楽しく暮らそうって思って、考えないようにして生活しています。
乳癌の転移の完治は難しいと思いますが、そうなる奇跡を信じて治療に専念しないとやってられません。
まだ一番下のチビが2歳なので、この子が嫁に行く日まで頑張りたいです。
アッピアさんの、ブログ読んでいると、とても鮮明に書かれていて、私の参考になります。
まあ、月日は流れていくので、薬などはだんだんと新薬が登場していて複雑に嬉しいですが。
これからも末永くお互いに頑張りましょうね。
返信する
アッピアさんのブログから勇気いただいています。  (日光植物園)
2012-02-23 16:44:32
考えること-有効治療、日常の生活、そして楽しみ。

余計なことは考えずに今を生きる、今を充実させる。

それが悔いのない生き方かなと 思います。

アッピアさんのブログも楽しみの一つです。

あなたのように冷静でいたいです。
返信する
参考になります (ミユ)
2012-02-23 17:16:27
私は術後半年で多発性骨転移になりました。
主治医も私も気軽に行った採血で腫瘍マーカーの数字がとんでもないことになっていたのです。
その後の骨シンチで多発性骨転移が確定し、心の準備をしてなかった私はとてもショックを受けました。
今は勉強して前向きに生活ができるようになりました。
アッピアさんのブログを読ませていただいて、色々勉強させていただいたり、元気をもらったりしています。
転移後シリーズも参考にさせていただきたいと思います。
返信する
すごく心強いです (ルビリン)
2012-02-24 01:58:50
いつも心の支えに読ませて頂いてます。乳ガン二年生です。再発転移の恐怖に怯え、今を大切に生きることを忘れてしまう時がしょっ中で…反省するんですが、やっぱり頭から離れることはありません。でも、再発してもちゃんと生きていけることを実証されてるアッピアさんの存在に、ものすごく希望を与えて頂いてます。感謝です。これからもブログからパワーを頂戴しながら読ませていただきます。
返信する
大家族さん (アッピア)
2012-02-24 09:38:51
寝耳に水の再発告知、ショックでしたね、よく耐えて頑張りましたね。

子供の成人式までは、結婚式までは、という気持ちも痛いほどわかりますよ。
私も息子の成人式の姿を想像して、切なくなったりしています。

でも、10数年後の子供より、今の子供との時間を大切にしようと思っています。
新しい治療を期待しながら、子供との生活、自分の楽しみを満喫していきたいです。

きっと大家族さんも大丈夫ですよ!
また情報交換しましょう。

返信する
日光植物園さん (アッピア)
2012-02-24 09:47:06
今を生きる、今を充実させる、てなかなか意識しないとできないことかもしれませんよね。

言うだけは簡単なのだけど、私もできているいのかな。でもほどほど、ゆるゆるでいいのかもしれません。
毎日は心地良ければ、それが充実かもしれないし、ね!
返信する
ミユさん (アッピア)
2012-02-24 09:54:55
予想外のマーカー値、そして多発骨転移、お辛い状況を乗り越えてきましたね。

でも転移しても、QOLと心の健康が保てれば、転移前と、いや病気前と変わらず、普段通りの生活が送れるし、旅行や楽しいことも制限せずにできるんです。

だからきっと大丈夫ですよ!
いっしょに頑張りましょ!
返信する
ルビリンさん (アッピア)
2012-02-24 10:03:27
再発転移・・・恐怖ですよね、不安一杯ですよね。

でも不安や恐怖は、自分の心、正確に言うと脳みそが作りだしている”お化け”なんですって。

是非、”お化け”を追い払って、穏やかな毎日を送って欲しいです。
これは、再発しても同じ。”お化け”追い払えれば、自分らしい生活が送れますよ。
大丈夫!また遊びに来てください!
返信する
ブログ読ませていただいてます (小雪)
2012-02-24 11:21:59
4月に術後1年検診を控え、不安がいっぱい。ステージ2Bホルモン剤ハーセプチンの効かないトリプルネガティブ。
治療の恩恵を受けられないタイプ。
うちも下は小3だから…
お化けを退治しながら、毎日平穏に過ごしたい。アッピアさんも免疫アップして頑張ってください。応援しています。
返信する
ご無沙汰です (ながなが)
2012-02-24 23:20:43
読ませていただいてたのですが、久しぶりのコメントです。皆同じなんだな~一人じゃないんだな~って私も大家族さんと同じでリンパ転移なしだったのに、ホルモン陽性で でも1年後に再発骨転移、肺にも ずいぶんなぜ?と悩み 怒りをどこにぶつけたらいいのか でもアッピアさんからの返事で心が落ち着き前に向けました。今でも時々後ろを振り返りますが、でももう戻りません。楽しく 気持ちよく前に進めるように がんばるように それでも 時々弱くなるときはアッピアパワーをもらってます。だから 皆が頑張ってると私もって思えて、乗り越えられます。
楽しみにしてますよ~
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