きのう、朝日新聞で、ある「声」が目にとまりました。
『目障りな地デジ促す大文字』というタイトル。
「我が家のテレビの画面左下に〔アナログ放送の終了まであと〇日〕という大きな文字が1日、姿を現した。これまで黒い帯のおせっかいも十分目障りだったが、今度は番組の画像の中にまで進攻してきて、テロップも読めない。」
そ、そうなんです。
ずうっと画面の下に「早めに地デジ化を」というのが流れていて、気になってしかたなかった。
それで、細長い紙を張ってたんです。
静電気でピタッと張り付く。TV消しても落ちなくて、チョットおもしろい。
それが、今月に入ってからは、デッカイ字が画面に重なっている。
これには閉口。
こちら耳は頼りないので、テロップが頼りで内容をナントカ把握してるんです。
それが何分の一か、読めない・・・。
ふつうに聞こえる人にも迷惑だと思います。
たとえば天気予報とか、その部分は見れないのですから。
新聞の「声」では、こうありました。
「一体誰に情報の授受を妨害する権利があるのだろうか。」「――思い付いた人の無神経さを疑う。地デジ対応のテレビ未購入者には理由があるはず。」
そうですよね。
それぞれに事情があり、考え方がある。
どうしても必ずテレビが無くちゃ、ってことはないんです。
生きていくのに支障は無い。
ウチは、ケーブルTVにしました。(2015年まで、これで見れるんです。)
工事が済んだら、その字幕もデカイ字も消え「やっと開放された」という感じ。
ほっ、、としています。
「声」は、こう結ばれています。
「いやいや急ぐことはない。24日正午の放送終了という歴史的瞬間を目撃するのも一興だろう。新しいテレビはその後でゆっくり考えることにするか。」
――立派だ と思いました。
ちゃんと『自分』をもっておられる。
そこに 感動すらおぼえました。