例えば、ドレスの色が何色に見えるかという出だしの質問に、ある者は青と黒、またある者は白と金と答えて、そのギャップの大きさに驚く。スタジオの参加者も半々で年齢差というわけではなかった。見え方そのものは錯覚で感じてしまうように、脳に組み込まれているという。
番組で得た情報をまとめると、特に青色に関して加齢の夜色彩の変化が起きるそうで、目の奥にある網膜上に並んだ錐体細胞(650万個ぐらい)と呼ばれる知覚細胞があって、青、赤、緑(光の三原色)を感じる細胞があるらしい。この内、青色を感じる細胞は元来数が少なく、個人差もあるのだそうだ。青色の細胞が少ないのは太古の時代に祖先が海から上がって、青色を識別する細胞があまり必要なくなったせいだと・・・。うまい話だね。
しかし全体的に20代が知覚力のピークで、加齢によって機能が低下して、薄い黄色のフィルターをかけたような状態になるらしい。つまりそれぞれの色が弱く感じるようになるということ。
修復家として失われた絵具層に新たに色を与えた頃、私の知覚はどうであったろうか。時には顕微鏡をのぞいて補彩の作業をしたこともあるが、あまりに小さな点を補彩して、自分でもわからなくなるほどであったが・・・。たまにはその作品を見に行った方が良いかもしれない。
この先も絵を描く自分としては事実を受け止めて制作しなければならなと思うが、私の青は一体どんな青なのだろうか!!??
十代から絵を描き始め、美大に進んだ。入試の他に色盲色弱検査というのがあって、カードの数字を読ませるというものだった。カードには二つのパターンがあって、あるカードは彩度の強い赤と緑の点が散らばっていて、健常者には見辛い。もう一つの方は薄いピンクは灰色の点があって、中に数字が表されている。これは点が全て同じ明度で表されて、色も弱く、色盲色弱の人には読めないようになっている。
これを私は両方を読み答えてしまった。しかも正解だ。そこで担当者はどうして分かるのかと尋ねたので、解説して見せた。普通はどちらかなのだと・・・。両方答えたのはまずかった。まあ大学入試は合格したが。
目がいつの間にか明度と彩度を区別して見ていることは実際に起きる。絵を描く者ならそのぐらいの能力は身に着いていてもおかしくはない。今から思えば絵画の修復家として多くの絵を点検調査して、処置を施すのに役に立っているのだから。失われた箇所に新たに補彩するなど、色を判別し、明度を合わせる、汚れを判断することは瞬時にできないと困る。
しかし修復家としての仕事は止めて、今は絵を描くことに専念したいから・・・。
まあ見え方の個人差は、当然誰にも当てはまることだから、私が特別良い訳でも悪い訳でもない・・・・と思えば、それもありだろう。よく考えれば絵を描いて表現するとなると技巧上の問題であり、芸術性の問題ではないので、まだ大事なことは一杯ある。
昔から、ファン・アイクの描いたブリュージュ(ベルギー)のフローニンヘン美術館にある《The Paele Madonna》の左横の教皇のマントのラピスラズリの青色を再現したいと思っているのだが・・・。無論20代の時のように見えたとしても、再現能力は絵画の描写力であって、別のものだ。
絵を描くなら日ごろの修練のほかに弱点を克服するために、照明の明るさに気を付けることになるだろう。絵画の修復アトリエでは机の上で700luxの確保を基準にしていた。色彩の判別や細かな部分を判別するのに必要な明るさだ。勿論自然光であるが、直射でなく、紫外線や赤外線を遮断するフィルターを通している。電球色は用いないし、蛍光灯は青味が強いので、照明が必要な夜間は色を使う仕事に向かない。最近はLED照明のおかげで、太陽光の明るさに近づいたが、青味が少し強いので割り引かねばならない。
そうそう見え方のことを言えば、展覧会で油絵の照明は180~200luxで、紙に書かれている、デッサン、水彩画、パステル画は厳しい保存条件で50luxで展示されるため、明るいところ来た来館者にはよく見えないこともある。正直言って色彩を判別するには不十分な明るさだ。
20分ぐらいすると目が暗さに慣れてくるが、展示経路で次第に少しずつ慣れさせる配慮が必要だ。そんなことをする学芸員はいないが。
よく来館者に怒られました。
年と共に生きること・・・ためしてガッテンです。