昨日、倉庫に野良猫のデブが帰宅していた、このところ4~5日留守だったが・・・・。口の周りに黒いものを着けて、目から黒い血が垂れてこびりついている。「オイオイ!!どうした?喧嘩でもしたか!!」彼は体はでかいが、おとなしい方で声出しでけんかはするが、取っ組み合いは見たことが無かった。
私が声をかけると、寝床の箱から出て来て、すりすりを始めたが・・・・血の腐った匂いがする。「ちょっと、みせてみんさい」やはり口の周りのケガが問題だ。よだれが垂れて…感染症にかかっているかも知れないと思ったが、日曜日はは動物病院は休みで、救急治療はできなくて、今日月曜日の朝9時に医者に見せた。すぐに抗生剤の注射から始まったが・・・・。「交通事故かも知れない」という話。あごは砕けているかも知れないと・・・・また恐ろしい話になった。このデブは玉付きの野良で、この時期あちこちを徘徊し、メスにアプローチをするのが日課だ。いつかこんなことが起きると心配していたところだ。
結局、男として申し訳ないが、玉を取って長生きする方を選ぶべきだろう・・・と医師には「玉を取ってください」と今回の出費を覚悟した。デブは今晩、泊りで、明日の朝に迎えに行く。手術代がいくらになるかまだ分からない。
ここのところ、メスの子猫2匹(2万4千円x2、オス1匹(1万9千円)の不妊、去勢手術を行って大金を払った。どの子も捨て子や野良出身だ。いつも私のところに話が来て、あるいは彼らが「お腹がすいた」とやってくるのである。私の年金収入は少なくて、市民税は非課税であるが、介護保険、健康保険、は取られている。東京の家を売った金がなければ、即、生活保護対象者だ。このところ、食いつぶしが激しい。私が死ぬ前に、猫たちは先に死んでほしい。そして私は餓死することにする。役所には直前に「餓死するのでよろしく」と言っておくことにする。
しかし、この町で死にたくないな。郷里の山口市に戻りたい。山口であれば「何処にっても同じだ」とあきらめがつく。諦めることが「絵を描くこと」につながる。画材だけは死ぬまで貯えがあるので、目の前が暗くなるまで、描き続ける事はできる。
いま一人、受験生を預かっている。プロダクトデザイン志望だが、私は古典的絵画が専門であるからして、教えられるのはデッサンや彩色程度である。まず、デッサン力で一番の山は「立体感」を感じ取って、立体的、空間的な構成が実現できることが必至の課題。私も高校生であった頃、立体感もやっと描けるようになっていたが、塊と空間の存在感は貧弱であった。結局一浪したのだが、その覚悟は必要だろう。何しろ合格者は一浪が一番多いのだ。つまり受験競争の主体は一浪なのだ。現役で合格することは不可能でなくても、入学後情報不足や認識不足、覚悟不足で4年間をうまく使えない。だからうちの受験生には「何が好きか、何をしたいか」をいつも念頭において、学習するように言ってある。
ものを描き表すというのは、初歩的には観察不足でつじつまの合わないものが出来る。観察10分、描写30秒と指導する。その繰り返しで対象を観察して記憶することが先なのだ。5分で絵を描くクロッキーはもってのほか。そんな才能は誰にもない。絵を描かない者の狂信である。うちの受験生は私の厳しい注文ににこやかに答えてくれる。少しのんびりしているが、それは経験の差であって、私が多くの情報を与えることで理解力は急速に発達している。高校生というのは吸収が早い。さあ春休みだ。厳しさを倍増させて受験戦士を育てよう。