河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

絵食同源

2019-10-07 23:15:16 | 絵画

絵を描くことと、食事が同じ源にあると、また勝手なことを言う。

若かりし頃、絵を描くのに夢中になっているときは、食事をしなくてはならないというのが「面倒」で心に負担であった。それはきっと絵食同源であったために、絵を描いていればお腹が満たされて食欲が湧かなかったから・・・と勝手に思っている。解釈は「医食同源」とはかなり違う「こじつけ」だが、自分には説得力があるように思う。こうした観念的な「遊び」は「表現の不自由展」の自称芸術家の連中の手法より「毒」はないから。

私にとって自分が描く絵は「自分の芸術」だけど、人に向かって「自分は芸術家」だと図々しくて言えない。前にも書いたけど、「表現は絶対的な物でなく、相対的な物だから」受け取る側に配慮すれば、自己主張も手法が大事で、視覚表現なら「観ただけで感じ入る錯覚を与えて」表現の目的を達成することを目指す。誰か自分よりほかの人が,伝わらなかった意図を「解説]してくれるの期待するなど、恥ずかしくてできない。

自分を芸術家だと一人では言えないものが、みんなで集まって「芸術家だ」と言っているのだろう。小説を書いている人たちが「自分は芸術家だ」と言うのは聞いたことがないのは、良識があるからだろう。

だから観念アートは私は嫌いなのだ。観念アートを信奉している人たちは自分は「芸術家」だと思い込んでいる。その思いが陳腐だから、作品も陳腐だ。しかし「自分が表現したものは優れていて観る者に伝わる」と思い込んでいるのではないか?今年の芸大の油絵学科の入試の一次試験の主題は「世界を見る、世界を考える」であった。それをデッサンしろというのであった。もはや基礎的描写力を求めるのではなくて、アイデア、コンセプトの面白さを募集しているのだった。高校を卒業する18歳の初心者に求めるこうした観念アートはあまりにも非現実的で、創造性を身に着けるための学問をする場所とはかけ離れていると思ったが、ネットで見ることのできるホームページには教授が「芸術は愛だよ・・・」とへらへらしてふんぞり返っているのを見ることができる。実にがっかりした。

作り手は自分の主観を大事にしている以上、実在感を感じさせる表現力を持つべきだ。芸術は無いものを在るが如きにする「虚構」であるから、偏った政治や歴史解釈を持ち込んで、観衆をだましてはいけない。それは虚構ではなくねつ造された錯誤を与える。もし観念(言葉)として表現するなら、学術研究の論文のレベルが実現できる頭脳を持つべきで、合理性もなく感情的(情緒的)な理解でことを始めると観衆と軋轢を生むだろう。

だが彼らは「ポリティカルアート」と呼ばれるジャンルがあると言う。こういう発明が現代美術の表現の方向性の喪失から生まれてきたことは否めない。アートをそれまでの美術の流れにあった行き詰まりから「今までにない、何か新しいもの、表現」と言い出して「観念アート」と呼ばれるジャンルを作り出した。「何を主題にしても、どの様な表現手法を用いても良い」というこの観念アートが「芸術」であるかどうか誰も問題視しないで今日、市民権を与えて「政治的主題、人道的問題、フェミニズムなど」の社会問題を提起して、観衆に考える機会を提供することができる・・・と本気で思っているのだからナイーフ(幼稚)である。

作品?を見て、「観衆が考える機会を提供することができる」作品が人を怒らせたり、不快にさせたら、それは「感情的反応」を与えただけで、考えさせたのではない。この曖昧でいい加減な思考は「観念的」と言えるのだが、

何かの思いを伝えるイコール芸術だと思うことが「安い現状」を生み出している。

そこにあるのは現政権のやりたい放題に対して、一言いいたいという程度の感情が「心情左翼」的批判精神に化けているのかもしれない。人道主義やフェミニズムには気を付けなければならない。いいことをしていると思っても、気分で「主義」を主張すると、隣の大統領とその支持者のようになってしまうだろう。

愛知トリエンナーレの「表現の不自由・その後」展での公金の扱い方にネットで意見を述べた自称ジャーナリストが居たが、外国ではポリティカルアートとして盛んに公共の場で展示されているを挙げて、公的機関が行っている国際展としてドイツのカッセル市で開催されているドクメンタを紹介して、その中にはユダヤ人が受けた迫害やホロコーストについても広く展示公開されているとか述べているが、ドイツで「芸術だから」といって何でも受け入れられていると思っているようだが「検閲」による排除は行われている。もしナチズムを取り上げた場合、共鳴したり歴史を歪曲したり、あるいはナチの旗を掲げると犯罪になる。「芸術だから表現の自由だ」と許されない。もしそれでもと言うなら公的な議論が必要になる。ドイツ人にはこうした議論の基礎となる、個人の考えを尊重するが厳しい個人の責任を伴う「個人主義」と「合理主義(論理主義)」があるから可能であり、それぞれの国が抱える政治問題があることは認めなければならない。最初からポリティカルアートのジャンルがあるからと「正当性」を与えて記事を書いているから、中身が浮いてしまう。

今回の津田大介氏と表現の自由展実行委員会のいう「表現の自由」での彼らの思い込みも「徒党を組んでいる」から自省することもなく「イケイケ」でまだやっているが、独りになっても自らのアイデンティティを主張できるだろうか?個人の責任を感じているとは思えないような現実を感じるが。

我々日本人は一人一人が個人の意見を持たねば、集団の中で己のアイデンティティを失う・・・・いや失っている。自分の主観で行動し、他者との意見の違いを自己責任で感じ取って自分を知り、論理的(合理的)な考え方が集団の中で生きるのに必要だと理解しなければ、この国は先進国の仲間入りは出来ない。・・・とまた余計な事を書いてしまった。

本文に戻ろう。

最近、自分の絵を描けないでいる。事情は解決した時に述べることにして、こういう時は「絵食同源」なのだ。つまり絵が描けないときは「食」で補うことが生きる上での医食同源と同じことになる。

で、今回は何をどう食べるかの話をしよう。

自炊は17歳の時から始まって、父親が松江に単身赴任して、時々母親が私を一人置いて、父の所に何日間か出かけている間、何かを作って食べなければならなかったから。だからこの年までに、かなりのキャリアを積んだのだ。そのころインスタントラーメンと言えば、チキンラーメンか博多のソーメンにラーメン出汁が付いたものぐらいだったが、それも不経済で母が作り置いたものを食べるのに飽きたら、自分で作る運命にあった。しかし「料理を作る」に値せず、「食事」とさえ呼べず、結局「エサ」のレベルであった。芸大受験に失敗し高円寺の安下宿で「鍋物」を大量に作ってそれを延々と食べ続けるに終始した。小中学生の時にボーイスカウトで教わった「トン汁」「さつま汁」「けんちん汁」「カレーライス」などの集団給食メニューは後学の基礎を与えた。浪人中の自炊では時に行った中華ソバ屋の「野菜炒め(ちょっぴり豚小間が入っている)」「肉野菜炒め」「レバニラ炒め」などを試して、これなら自分で出来ると、結局それらは何繰り返し食べることになる。冷蔵庫が無かったので作り置きは一回だけしか食べられなかった。そういえばよくお腹を壊して、吐き戻す、下痢も良くあった。このころ、また日清の焼きそばが出て、具の無い焼きそばが食べれるようになった。

料理というものに触れたのはベルギー留学中のブリュッセルであった。それは貧乏留学であったため、ブリュッセルに着いたら直ぐにアルバイトを探した。ブルス広場にあった都田川(みやこたがわ)という日本レストランで皿洗いでもと考えて尋ねた。「田川」は赤坂の外務官僚が利用する老舗の料理屋で、そこと提携してブリュッセルの「都商会」が料理人を派遣してもらって出した「都田川」という日本レストランだった。幸いすぐにオーケーで美術アカデミーが始まる前に夏休みの間小銭を稼いでおこうと思い始めた皿洗いはいつの間にか日本的な看板を作るアルバイトに変わり、時には料理人たちの賄い(まかない)食事の魚を焼いたりしながら「料理」に近付いて行った。そのうち系列の日本人相手の魚屋で売り子から、魚を下す仕事までやるようになって、更に和食をに踏み込んでいった。鯛を三枚に下すことからウナギを背開きにさばいたり、鮃(平目)を五枚おろしにしたり出来るようになった。アジの開きを背開きにして一夜干しにするなどは今日まで役に立って、釣り魚も恐ろしくはない。板前の賄で味噌汁を作るのに、みそだけで味を決めるにはどれほどの濃さにするなどを教わったのはこの頃だ。今でこそ減塩の味噌汁が貴ばれるが、70年代初頭のベルギーでは出汁と言えば、レストランにとっては当時本格的なかつお節や昆布だが、貧乏学生が手に入れるには「味の素」が手に入ればよい方であった。

あるときアカデミーの同級生や知り合いのベルギー人たちに日本料理を食べる晩餐会を開いたとき、大胆にも鯛の刺身の姿づくり、しめさば、揚げ出し豆腐、わかめの味噌汁、とか作ったのを思い出す。魚屋でアルバイトをしたおかげで、スルメイカの塩辛も作ったし、そんじょそこいらの主婦に負けない食い意地が身に着いたのである。ああ腹が減ってきた。

絵が描けないときはより食い意地が張る。おいしいものが食べたい、しかしこの町には何もない。山陰の町だから「かに」が食べれると思ったら、東京より高いカニを売るお魚センターというのがあるだけで、カニを食べたがらない山陰の町もあるのだと教えられた。

五月に上京した時には渋谷の東横デパート地下食品売り場で「クスクス」とスペインの生ハム、イタリアンサラミ、パルミジアーノのチーズ、オリーブの塩漬けを買って帰った。ちびりちびり食べて、もうない!!

おいしいものがなければ、自分で作るしかない。

次は最近は何を作って食べているか書いてみよう。

向かって右がみりんちゃん、左がしょうゆちゃん。

三日ほど岩国の実家に帰っていたから、しょうゆの奴がきっと一日二回のウン子が三回、つまり6回分は廊下にしていいるに違いないと覚悟して帰宅したら、綺麗なもので何もなかった・・・・が、それは私に対する当てつけで、気を引くためにどうもやっていたようだ。帰宅したその夜にやってくれた。廊下が匂うのなんの!!こらー!!生後五か月のバカ珍!!