この国の教育問題を考えるテーマでエッセイが書かれているのを見つけたので、私の意見も添えて書く。
ダイヤモンド・オンライン8月6日の記事、「『うがい薬買い占め』で露呈する日本の学校教育の致命的欠陥」と題した窪田順生氏の意見は日本国民の精神教育に最も重要な時期において、大変な欠陥があるという考えで構成されている。
経済協力開発機構(OECD)が48各国の小中学校の教員に行った「国際教員指導環境調査2018」(TALIS2018)のアンケート調査に基づいて・・・指導として「批判的に考える必要がある課題を与える」つまり客観的事実に基づいてゼロベースでで論理的に考える指導をしているかどうかの問に出されたパーセント数値を尺度に窪田氏は問題提起を行った。
私がこれまで「日本の若者は個人の選択が出来るだけの教育を受けてきていない」とか「日本経済の労働力としてしか扱われていない」といった意見を述べてきたが、窪田氏は客観的数値を取り上げている点でより説得力がると思う。
そこでOECDの調査結果では欧米豪が高く、米78.9%、カナダ(アルバータ州)76%、イギリス(イングランド)67.5%、オーストラリア69.5%で、体制批判に厳しい国、中国でさえ53.3%、ロシア59.7%であり、これらからすると、「何でも言われたとおりにせず、自分の頭で論理的に考える」というのは世界的に常識であると言える。
48か国の平均は61%であり、47か国が40~87%に収まっているのに、なんと日本は12.6%であったと!!
ある小学校で、夏休みの課題として「自分が興味を持ったことに、ゼロから調べてリポートする」という宿題に盛り上がったそうだが、「なぜ学校に行かねばならないのか?」「何故、校則がるのか?」などはNGだとされた。・・・そもそもの学校教育を批判的に捉えるのを許さなかったという。
その他に、もう一つの日本の教員が実践しない指導に「明らかな解決方法が存在しない課題を提示する」という項目では、48か国平均が37.5%のところ、日本は16.1%だった。要するに「複雑な問題を先入観ゼロで自分の頭で考える」と子供に教えないという結果だ。
ある研究者チームが、教員を目指す大学生が教職課程で、4年間どの様な意識を形成していくのかを調べた。卒業に近づくほど授業技術のウェイトが増し、社会や人間関係などの繋がりを議論しなくなったそうだ。つまり「日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている」。
その結果かマスク着用を一同に従い、レジ袋有料化に疑いもなく従い・・・(レジ袋くらいで有害プラスティックの問題が解決するわけないだろう。まるで安倍のマスクと同じレベルの発想だ)・・・と「世界一規律正しい日本人」が個々人の批判的思考を止めているから、実践するのかも知れないと窪田氏は述べている。
この全体主義的教育が、属する組織への隷属化や集団の価値観に従わない者、皆と同じではない者に対するイジメや差別を生んでいることは確かだ。
親からして全体主義的な価値観で子供の「希望」に干渉し、「進路」まで方向づけてしまう、この国。みんなと同じであると「安心」する。子離れ、親離れが出来ず、犯罪を犯すと「親の責任」まで追及する国。外国人を利用するだけで受け入れない社会。国内でしか通用しない常識が世界でも通用すると思い込んでいる者の多いこと。英語は話さない。
小中学校に学んでいる頃が一番大事な精神性形成期だろう。自然と沸いた興味に向かって自分を試してみることで、自分を知ることになる。それを親が止めて「こうしろ」と言ってしまうことで、自分で感じ考える性格が損なわれていて、教科書を憶えてこなすだけのマルペケ人間になるのだ。しかし人間として生まれて「一番美味しい所」を味わえない人間になるだろう。
だから私は「はみ出し者」であることに「誇り」を持つように言ってきた。親の言うことは効かないバカ息子で良いのだよ。近所では変わり者で通せばよい。自分で感じて考えて、答えは自分のためにある。
今おかしくなっているこの国の現状を変えるには、現在の小中学生の教育環境とその親たちの現状認識を改めさせて、子供たちの未来を考えることから始めねばならないだろう。やりたいことをやらせるにも上から見るのではなく、横から並んで見守ることが個人としての自律を促すだろう。だから教える側の教師や親が主体的にチャレンジする意志を持たねば、それまで枠の中に放置された子供は「自由意志や可能性」を見つけることはできないだろう。