河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

プリミティヴフラマン絵画(フランドル絵画)の技法についての再考1

2021-03-13 21:29:56 | 絵画

また昔(21年前に)書かれた本などを読んでいて、およそ進歩しないだろうと思える絵画技法についての知識や、この国での通念が気になって、改めてメモを書いておきたい。

「油彩画の発明者」とか「最初に油彩画技法を完成させた画家」とか言われてその優れた油彩画は人類の宝とも思える15世紀フランドル地方(ベルギー西部)で活躍したファン・アイク兄弟の技法は未だに再現が不可能な秘密と高度な技能によって解明されていない。とはいえ、これまで何度か科学調査がされて基本的な技法は判明している。

しかし、1970年代に政府給費留学生としてイタリアやオランダに研修留学に出かけた者たちに与えられた機会は決して十分な認識を得られるだけの勉学をしてこなかった故に、当時あまりに不正確な推量で化学的でない知識理解で東京芸大の後続たちに伝えられてしまった。

その後の十年間で新たにイタリアに留学したものによって、現地で出来る最もレベルの高い模写や技法サンプルがもたらされて、15~16世紀イタリアのテンペラ絵画についてはこの国でもある程度は知られるようになった。

問題はファン・アイク兄弟の技法である。

未だにテンペラ絵具や膠絵具を織り交ぜた油彩画技法、つまり混合技法だと思っている人が機会があれば自身の信じ込みを広げてしまう状況である。

私は国立西洋美術館在職中は画家ではなく、技法研修者ではなく「美術館コレクションのための保存修復家」であったので、やるべきことはたくさん雑務があって、技法研究は絶えず個人的には興味があっても、館の紀要などに執筆しておく機会があったにもかかわらず、あえて行わなかった。今思うと自分がやるべきだったと思う。大それた大研究ではなく、小論の積み重ねを繰り返して、自分がそれまで多くの作品から得た所見と海外の研究者の調査などからより実務者としての認識を得るかとが可能であったろう。

以下ここに少しづつ事実関係を確認しつつ記録しておこうと思う。

つづく

 

 


絵が描けない時のいたずら描き

2021-03-13 10:34:50 | 絵画

絵が描けない時、つまりスランプは制作欲が失われて何もしたくない時や、描きたくてもイメージがまとまらない時と言えるだろう。そういう時は「絵食同源」と言い訳して「食い意地」に逃げて気を晴らすと書いたことがあるが、後者の描きたくてもイメージがまとまらない時は自動書記のようにいたずら描きをすることにしている。

要するにイメージ全体がまとまらない以上、作品的な完成度は得られないから、最初から気を張らずにいたずら描きをすることにしている。そうすれば作品のどこかの部分として成立する小さなイメージが具体化することになる。

静物画、風景画、人物画のように、そこにある原物を写生するのと違って、構想画は「全体的に関連性のあるモチーフの持ち込み」が必要で、そのバランスで完成度が生まれる。そうすれば鑑賞者が見るときに全体を安心して眺められる。

しかし、関連性が無いものが雑多に登場すれば見る人は混乱し、何が言いたいのか分からなくなる。現代アートはこれが多い。一目見て「感じ取れる」だけの世界がそこに存在させられていないとみる人は「何を表現しているのか考えてしまう」観念的な鑑賞になってしまう。現代アートは更に「何が言いたいのか伝わらない」と「言葉で説明」するから、余計に分からなくなる。目に入るものを言葉に置き換えると、感じないものを無理やり言葉で納得させると本来あるべき芸術性とは無関係になる。

こうしたことを起こさないように制作することは、情報過多で観念的な生活が常態化している今日かなり難しいが、とにかく何をどうしたいのか自分の考えや気持ちを視覚的に表してみるしかない。それが「いたずら描き」だ。

まずは楽しみながら描いてみることで、自分のイメージのレベルの低さから反省も出来るし、面白さと出会えば妙に自己満足もある。その積み重ねで一つの画面全体のイメージを充足させれば一つの作品に向かって制作が始まるから。

何となく分かります?


猫(を、が)ふんじゃった!!

2021-03-13 09:37:23 | 絵画

もう十年前になるが、仲池上の小ビルに住んでいたころは生活が何となく小さくまとまっていて、猫も家の中にいる(一番多い時で7匹の)子と、外つまり野良猫の世話程度で済んでいて、さほど多くの手間はなかったように思う。猫のトイレにはそれぞれの猫の個性があって、私が出張でニ三日家を空けると私のベッドにわざとウン子をして出迎える子(シャムネコ)が居て閉口したが、それは出かける前にベッドを大きなビニールシートで覆っておくことで、毎回の「仕打ち」に対応できた。日頃はちゃんと砂のトイレで出来る子だが、猫には「故意の当てつけ」をする子がいることに気が付かされた。

そう、この浜田に来てもっとひどいことが起きている。5月10日で2歳になる白黒の「しょうゆ」君だが、妹の「みそ」「みりん」ちゃんはまだ小さい時に亡くなってしまたが・・・・そのせいかもしれないが、寂しさが大きい分だけ私に「当てつけ」をしているのではないかと思うほどウン子にオシッコを廊下にするのである。一日で多い時は6,7回ウン子をする・・・その分、食事時には他の猫の分まで食いまくって下痢をするのだ。だが普通の体形で成長して大きくなった。

そこでギャル曽根が大食いで、あれほど食べても太らない原因が分かった気がする…つまり、彼女は一日分を15,6回に分けて出すと言っていたが、栄養を吸収せずに殆ど下痢で出しているのだろうと推測する。余計なお世話だが、大食いが得手の仕事とはいえ、きっと健康には良くないだろう。食事後に撮影したX線写真を公開していたが、お腹全体が胃袋になっていて映っていた。これは普通の人には出来ないことではないか!!??

そこでうちのしょうゆ君だが毎日6,7回するウン子が2日も放置されると私も歩けなくなる。3年前に「坐骨神経痛」を患ってから左足が上手く出ないから・・・「おっと、と、と!!」ということは頻繁にあり、危ない。だから廊下は常夜灯で対応しているが、暗い洗面台の下にあったウン子をもろに踏んでしまった。もう一回踏んだことがあったが・・・しかしうちの猫たちも同じように「踏む」のだ。意外と不器用で、キャットウォークから落ちるものもいるから・・・私はウン子は必ず見つけた時にティッシュを掛けておくことにしているが、その上からむにゅーっと横滑りしながら踏みつけていること・・・もう6回目だ。しかもその足で私のベッドに乗らないで欲しい。くたくたで寝る段になって枕元が匂うのに気が付く・・・と、もう寝れない、眠れない。ベッドカバーから布団、シーツに至るまで全て交換しないといけない。

で、廊下の掃除だが・・・意外なことに気が付いた。彼らは家の中でも「けものみち」に従って歩いているということ・・・・土足で家に上がって、廊下に泥足で付けた汚れが集中することで、それが一定の方向性があって・・・その上に残したウン子は踏まれやすいということに気が付いた。

どうだ!!このウンチクは!!??

ああそうそう、しょうゆ君のこの「下痢」と「当てつけ」を直すには「食事量を減らす」ため拘置所につまり檻(おり)だけど7日ばかり入れて、カリカリと水で我慢させるのが最良の様だ。しかし問題は彼のトイレだ。砂のトイレを入れるとそこに寝て、ウン子はその外にするのだ・・・。