河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

AI画像生成ソフトを使った作品展を開催しようとして沈没!!

2023-08-07 21:26:15 | 絵画

武蔵野美術大学で学内コンテストを開こうとして周囲の批判で中止。まだこの国ではAIによる意匠権侵害の法的な規制が明確でないために、先んじて心配をする人たちに批判されて中止とした。

当然な成り行きだが、最近の美術大学の授業は「現代アート」の影響で「人間の中にある感性」と言う才能より、ゲーム感覚の遊びが教育方法に取り込まれているようだ。だから学生からして「絵が簡単に描ける」とか言い出して・・・私はちょっと悲しい。ずいぶん昔からコンピューターグラフィクス俗に言うCGによる映画の場面作りには脅威を感じる。写真的な現実感は私の目指すところではないが、未来世界を想像したり、未来の乗り物で戦闘する場面など、どうやって作るのかはコンピューターという道具で、技術的な進歩で可能になっただけではない。そこには作り手の技巧という感性も大きな役割を果たしている。こうなるとAIによりさらに次元の違う世界が作り出せる。優れた技術だが、それを獲得しに芸大、美大に行くのだろうか。

なんだかデジタル人間とアナログ人間に分かれて、未来に分断が生じ始めているようだ。しかし人の「感性」は殺せない。

 

しかしここに生まれるものは、すでに出来上がったものの情報を入れ「目新しいもの」なるように再構成させることを「画像生成」と呼んでいる。人は目新しいものを求める。これまで見たこともないような景色でも見ようものなら「自然の芸術」とか言ってしまう。これは物質的である。目新しいものに値する「言葉の表現」を見つけられないだけである。

だから古典の巨匠の作品は「目新しいものではなく、既に普通にあるもの」として見ないでほしい。古典の画家が絵を描いていた頃は「無いものを在るが如きに」錯覚として感じ感動することを求めたのだから。そのような気がさらさらない現代アート作家や机に座って資料文献ばかり読んで批評を書く(AIに最も近い習性を持っている)、古典の作品をほとんど見ないで批評を書く美術史家(?)と同じレベルで美術品に接しないでほしい。

なにも芸術ばかりではなく、我々の日常に「感性」が響くものがたくさんあるから、感じて楽しもう。

もし核戦争が起きて人類が地球の自然を失って、ビタミン剤や栄養ドリンクだけで生きるようになたら、もう人類はAIに任せるよ。