河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

はみ出し者(備忘録Ⅴ)加筆あり

2023-10-27 09:14:01 | 絵画

出る釘は打たれる・・・と。

日本の社会または組織は「集団の価値観」を重んじて「社会ルール」「道徳」「マナー」「常識、非常識」という言葉が好きだ。また情緒的に判断し、論理的に言うのを嫌う。何が「理屈」で「屁理屈」なのかも曖昧で、権力者や有名人に忖度する。権力者の無法行為は多くの者は目をつむり、「当然化」させてしまう。集団はそれそのものが正義の様に信じられるから、内部で反論は許されない。プチ軍隊とでも言えるような「規律」が出来あがる。「個人の意見」は「はみ出し者」の要素となる。

国立美術館の中でも同じことが起きていた。

私が主任研究官として新規採用で働き始めても、保存修復係として何をするのか、周辺の人たちは傍観する者と邪魔をする者とに分かれた。修復家の仕事として、まず緊急を要することから始めて、保存環境を適正にするために、展示室では来館者の為に朝9時から夕方5時の開館時間しか温湿度管理の空調を行っていなかったことを24時間空調にするように働きかけた。毎朝、空調機を動かすと吹き出し口から蒸気が噴き出るのを我慢できなかった。収蔵庫でさえ8時間空調で意味が良く分からない状態だった。展示室の8時間空調は「美術品の保存」が目的ではなく、来館者の為に冷暖房を行っていたのだ。誰が決めたのか・・・・。昭和43年の開館以来の出来事だ。問題は海外から美術品を借用して展覧会を開催してきた事。批判は外圧でなければ、西洋美術館内部から誰も動こうとしなかったのだ。「運よく(?)」ロンドンテイトギャラリーからターナー展で借用した際に絵画の額の裏面に温湿度を記録する小さな機器(データロガー)が付けられていて24時間空調をしていると「うそ」を付いたことがバレて、また同展で絵画を京都近美で破損し、保存に対するイギリスからの批判は私が任官する前に起きていて、次にウイリアム・ブレイク展で多くの作品を借用する要望書を送っていたところ、借用契約書に24時間空調の規則が書かれていたが、「また嘘を付かないように」と督促があって、それまで放置してきた24時間空調は「少なくとも展覧会会期中だけはするよう」に努力が始まった。この時、私は恥ずかしい思いで秋の台風シーズンに「電気代」が3倍になったのを憶えている。

当時、空調機器の運転管理は庶務課の施設整備係が担当していて、私が温湿度の厳密な運用が出来るように注意したら「うるさいんだ!!おまえの仕事は別だろうが・・・」と言われて、許せなかった。その若い係員は何が目的で仕事をしているのか理解していなかった。酷いのは、若い担当者が展示室の温度湿度を計測する仕事をサボって、地下の空調機のある部屋でデータをねつ造し、報告書に書き込んでていたことだ。学芸会議でこのことを報告すると、担当者が面倒な仕事を毎日させられている・・・毎日する必要がるのかと同情する者が学芸に居たこと。確かにアスマン温湿度計は床から1mの高さに計器を設置し温度と湿度とを計測する。湿度を測るには温度計2本のうち1本に蒸留水を浸み込ませたガーゼを巻いて風速1mの風を送って蒸発させて温度差を測り、これを表に照らし合わせて湿度を割りだす。これはどこの機関でも基準となる最も正確な値が得られる方法で義務付けられていることだ。学芸員はこれらの知識理解が全くない。これが国立西洋美術館の文化財を収蔵・展示する施設設備だったのだ。

環境問題に関する基本的業務はこれに終わりはしない。

美術史系の学芸員にとって、私の業務は「作業員」扱いで、作品貸し出しの際に保存状態の記録はさせられても、状態が悪いからと言っても、貸し出し許可は美術史系が行っていた。少なくても貸し出し作品には裏面からのショックに対応するために「裏板保護」を義務付けた。こうして如何に所蔵品の保存状態を保つのか、細かな作業が続いた。

保存修復の業務は過去には「積極的処置」という概念で「損傷が激しいものの他にも小さな損傷でも積極的に処置をする」ことが60年代から70年代は行われていた。若い修復家の育成が盛んに行われ「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言えるほどに危ういケースも出てきて、一つ一つに質の高さが重要視されるようになった。ドイツでは処置技術や材料においても一つ一つ議論がされ、論理的合理主義というものが各自に必要になってきた。そして時代は変化し、直接的に美術品に処置することは「最小限にとどめる」ミニマルトリートメントが主流となり、同時に「予防的処置」プリベンティヴトリートメントが叫ばれるようになり、コンサーヴァター(保存修復家)と従来の処置ばかり繰り返すレストラー(修復家)が区別されるようになった。

美術館という機関に居れば「所蔵品が置かれている環境」全てに対応するのが業務と言えれば、「美術品を最も壊すのは学芸員である」とまで言われてきたように、学芸員の理解を得るための努力も業務に加わっていた。特にこの国ではプリミティヴであった。

 

西洋美術館の建物はおバカな館長の裏工作で「重要文化財」に指定された本館建物は保存環境が不適切でも現状をいじれなくなっていた。次回は腹の立つ戦いを書くことにする。