河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

コメントにお答えします2(加筆しました)

2023-12-10 18:42:34 | 絵画

誰かが私のブログを読んでくれていると思っただけで気持ちがぞくぞくします。

で、今回も同じ人だと思いますが、質問にお答えします。

特に輸送の件で、パリからマドリードの陸路の輸送ですが、まず距離が長いこと・・・おそらく1000kmを超えているでしょう。それからトラックは日本の様に空調完備とはいかないでしょう。ほとんどの家庭でもエアコンを入れ居ている家は無いと思います。パリからだとシェヌーという美術品輸送会社が担当しますが、シャルルドゴールからパリ市内のプチパレと距離が短くても、エアコンは付いていませんでした。普通は可能な限り空路で輸送できる方法を選びます。そしてお考えの様に最短距離で陸路は考えます。でも何故に陸路で長距離を「一泊」を入れて運んだのか・・・良いことはありません。日本国内で1000kmを超える東京から博多に輸送する場合、途中一泊することがあります。この場合、京都か大阪で保税倉庫のような空調完備の倉庫にトラックごと保管して、荷物は出すことはありません。そして翌朝、運転手も助手もゆっくり休めた状態で再出発します。

美術品の梱包について一言:

現在の西洋美術館の絵画を輸送する木箱(クレート)は今から40年以上前にヤマト美術梱包の小松さんという古株の大御所が作り上げたもので、単純な一重箱を二重箱のする段階で、木箱の内側に防水シートを貼り、そこに50mmの発泡スチロールを周囲にあてがい、その中にもう一つの箱が来るようにしてある。この中も同じ繰り返しで発泡スチロールの内側には段ボール板でスチロールが崩れにくいようにしてある。そしてスポンジが来る。このスポンジは硬くてはいけない。今日のヤマトには硬くないと中で絵画が飛び跳ねると考えている者が居るが・・・間違いである。力学的に硬いものは柔らかいものより衝撃を伝える。箱を建てた時に中の作品がすこしスポンジに食い込む程度が正しい。外からの衝撃は大方これで吸収できるが更に中の絵画は額の裏側にキャンバス保護の板が付けられ、誰かが輸送の取り扱いの際にキャンバス裏面を触らないようにしていある。この当たりの絵画に治する配慮は私の時代に加えられた。額は直接ビニールやエアキャップで包まず、薄葉紙で先に包む。これはビニールには柔軟性を保つために「酸化剤」が含まれているから・・・気にしすぎかも? そして蓋も二重にすることになる。外箱には各美術館が分かりやすいように油性ペイントを塗る。フランスでは外箱のペイントは禁止であるが、彼らはISO労働基準で一人当たり60kg以上持たないように規約を作っている。そこで彼らは多く、このクレートを床の上で引きずるので、ペイントが床に着く・・・のを嫌がっている。しかしペイントは空港で航空機に搬入の際にエプロン(航空機の発着場)に放置される場合、いきなり雨が降ることがあるし、高度を飛行する機内でクレートが冷えて、その後いきなり地上に降りてくると箱表面に結露するので、大事な防水対策なのだが、フランス人は床の汚れを気にする。

パリで荷物を降ろして直ぐ積み込んで出発はあり得ないでしょう。クーリエとして添乗して機内で一泊して疲れていて、まだそのまま陸路を走ることはあり得ないかったでしょう。市内なら別ですがね。ということは先に輸送計画をヤマトや日通の国際便担当者に相手側と輸送計画を作っていいたでしょうから、クーリエの都合にに配慮します。

クーリエは輸送する場合、時差ボケに注意します。ぼーとしては役に立たないので、席もビジネスクラスにするのが常識です。

しかしあえてフランクフルト経由で空路で輸送せずに、パリからのんびり旅を楽しんだのか???問題はビルバオでしょう!!??

ビルバオには最も現代的なデザインの現代美術館「グーゲンハイム美術館」があります。ここには巨大な現代アートが展示されていて、図画工作の行き着くところという感じです。現代アート嫌いの私だけど「楽しんで」しまった。ここで一泊してからというのは結構楽しいでしょう。それからピカソがビルバオの悲劇「ゲルニカ」を描いた場所でもあります。実はここでIIC(International Insutitute of こらConservation) の国際会議があって私も訪ねたことがあります。食事は美味しいけどホテル代は高かったです。長居はできませんで、いそいでマドリッドに飛行機で移ったのを憶えています。

それから修復室の運営ですが、私は修復室・室長であったにもかかわらず、館長と学芸課長に部屋のカギを取り上げられて、研究室に閉じ込められて、修復は外注で外の修復家に任せて、嫌がらせの課題として「美術館の地震対策について報告書を書け」と命じられたのです。ですから修復室に入ることが出来ずにいたところ、私物を取りに行って「ロセッティ」の偽物を出会ったのです。修復するためではありません。学芸課長が気に入ったのでしょう??・・・購入するつもりでいたようで、私は「いくら何でもまずい」とたしなめたのです。機嫌が悪かったでしょう。

まあ、どれほどのパワハラでも、周囲からは「打たれ強い河口」と言われたものです。

でも、もし私に女房子供が居て、学校で子供がいじめに遭っていたら、モンスターピアレントになって殴り込んでいるでしょうね。

ま、北斎も70歳からと言っていたようですから、人生はこれからでしょう。