大衆の中で「泣く子供」は、この国ではよく見かけるが、欧米で見かけることは殆ど記憶になかった。SNSでも取り上げられるほどだが、飛行機の中、新幹線の中など・・・子供が泣くと周囲の人に嫌がられる。
どうしてヨーロッパにいた時、そういう場面に出会わなかったのだろうかと、ふと考えると国民性にその起源があるように思う。
昔、姉のうちの子供が部屋を散らかして片づけないで、姉に怒られていた。「早く片付けなさい!!」と言うと、子供は「のどが渇いたーーー」と言い訳する・・・そして姉は「のどが乾いたら自分で飲みに行きなさい!!」と怒鳴っていた。これがまあ日本の家庭の事情なのだろう。で・・・・私は「あのねー・・・お姉さん、貴方は完全に馬鹿にされているよ!!」と一言。「自分で飲みに行きな際の前に、片づける前に水を飲むな!!」といわないの?」と付け加えたら・・・・・。「えー!!??」と考え込んでいた。
この国では「しつけ方法に問題がある」と言える。つまり親が感情的あるいは情緒的と言える思考に支配されているようだ。そうそう一度ドイツに居て、スーパーで買い物をしているとき、母親に連れられた子供が床に寝転がって地団駄踏んでいるのを見た。しかし親も子供も「無言」であって、何やら親子で「勝負」しているようであった。親も手を出さない。子供も服が汚れようがお構いなしだ。私は面白おかしく見物させてもらった。母親は私を見て笑って、私はうんうんとうなづいていた。母親は黙って買い物を続けた・・・。何とも賢い気がした。
子供の反抗期はどこの国でも同じだろう。しかしその対応が違っていて面白い。しかし情緒的に子供に接することは、子供に状況が理解できずに、親が怒るからとか・・・理由を説明してもらわないで受け入れなければならず、時間の無駄をしているのと同じだ。つまり合理性に欠けるということ。子供には感情や情緒だけは伝わるが・・・犬猫ではない。感情表現以外の表現・・・つまり知的な表現は後回しになるだろう。子供は生まれた時から知識も何も持たないから、親は冷静に説明できなければいけない。しかも地道に教え続ける必要がある。しかも親の言うことが絶対であるように思わせてはいけない。また他のみんなと同じであるように教えてはいけない。「選択肢を与える」ことこそ子供の頭脳の発達を促す。
日本人の多くは何かを見て、「わー!!」とか「きゃあー!!」とか、感嘆詞が多いのに気が付く。驚きの表現も「すごーい」とかで終わる。言葉で的確に心情を表すのが不得手で「すごー!!い!!」とかで済ませてしまうのは日本人特有だ。女性も「きゃーきゃー」というのは欧米人の前で見せたくない。彼らの受け止め方は・・・「・・・」と黙ってしまう。「きゃあー!!」以外に何を言うのか待っているのだから、それで終わると困るのだ。
言葉で理路整然に語ることが出来る「訓練」が必要だろう。論理的に個人の考え、感想を述べられる自分で居られるように。