あなろぐちっく

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記憶 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読んで思ったこと

2012年05月09日 20時12分01秒 | NOKTON35mmF1.2
昨日友人からのメールに1Q84の文庫本のことがあったので、「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読んで思ったことをまた書きます。

村上春樹さんの「小澤征爾さんと、音楽について話をする」の中で、小節の刻みや音が抜けるところなどを小澤先生と村上さんがレコードを聴きながら語ってた。
小澤先生もすごいが村上さんのマニアックな聴き方は半端ではない。世の中のクラシックファンは皆こんなふうに深く理解してCDを聴いているのかと問いたくなるほど実に仔細に聞き分け、年代ごとの傾向などさえも深く理解している。

僕はといえば、クライバーンとコシチュとホロヴィッツのラフマニノフのピアノ協奏曲3番なら聴き分けられる。
シフとグールドのバッハなら聴き分けられる。
(これらは誰でもわかるくらい違う演奏だから)
まあその程度で、数多の名曲たちの曲名や演奏家の違いなんてなかなかわからない。
曲を暗記なんてできない。

ジャズのタルファーローのTALやラリーカールトンのLast NiteやウェスモンゴメリーのBOSS GUITERなら、次にどんな音が来るかわかる。
その程度だ。

ショパンやベートーベンやモーツァルトはすべて作品ナンバーで呼んでいる人と話をしたことがある。
何小節目からのとか、テーマがどうこうという話になると、唖然とするばかりだ。
ピアノを幼少時代から突き詰めた方は、楽譜が浮かぶらしい。素晴らしいことだ。

好きだ好きだと言いながら、ハイドンのチェロ協奏曲1番と2番を聴き間違えたりする。
モーツァルトの交響曲なんて、B'zの曲と同様になんか似ててサビ(楽章)を取り替えられてもわからないくらい。
ラヴェルとドビュィシーの弦楽四重奏曲もなんとなく似てるし、たいていのアルバムではカップリングされるので、ながら聴きしてると誰だかどっちだかわからなくなる。
車のHDDにバッハのチェロソナタ全曲をヨーヨーマとカザルスとジャクリーヌデュプレの3人が入っているが、大きな声では言えないが誰が弾いているのかわからない。どこを弾いているのかわからない。
(オーディオセットで聴くと、音色や演奏に違いがあることはわかる)
何が違うかわからないが、同じ曲でも感動する演奏と感動しない演奏がある。

何小節進んだのか、この先どうなるのか記憶が定まらないことを悲しいと思ってきたが、最近これはこれでいいのかなと思う。もしかして痴呆症の始まりなのかと不安にもなるが・・・・

記憶が曖昧ってことは同じCDを時間を置いて再度聴いていても、初めての感動がまたもらえるということとトレードオフとも言える。
そういう意味でも既に完成されたクラシックやジャズの名盤を、飽きもせずに聴きかえし続けているってのはおじさん世代の安上がりな趣味とも言えそうだ。

R-D1 + nokton 35mm F1.2
以前撮影した松本中町通りにて。
コメント (8)
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