これは法隆寺での一枚。
自分で撮影しておいていうのもなんだけれど作品という意味合いでは何の面白みもない。
旅の記憶の付箋のように、その時そこにいた自分だけがわかる記録写真。
最近旅の記録以上の写真がますます撮れない。
気持ちの問題、才能の問題、技術的な問題、それぞれがシンクロして情けないほど詰まらない写真ばかりだ。
でも自分の記録家族の記録としてはこれでいいのだろうとも思う。
leica m-p + leica summilux35mmf1.4asph
森友問題担当の財務省近畿財務局の方が亡くなられたそうだが、この問題に起因して亡くなったとしたら悲しい。
言えずに自分が墓まで抱えて行ったのだろうか。
著名人でない限り人の死はいろんな感情とともに多少の記憶に残るとしても、多くの人からは風化してさらさらと風に舞うように記憶の端っこに飛んでいってしまう。
たかが仕事、仕事が人生じゃない。
死んで家族が泣いて自分の未来も捨てて何の徳があるのだろうか。
生きていればいつか笑えるときがくるかもしれないのに。
自分で撮影しておいていうのもなんだけれど作品という意味合いでは何の面白みもない。
旅の記憶の付箋のように、その時そこにいた自分だけがわかる記録写真。
最近旅の記録以上の写真がますます撮れない。
気持ちの問題、才能の問題、技術的な問題、それぞれがシンクロして情けないほど詰まらない写真ばかりだ。
でも自分の記録家族の記録としてはこれでいいのだろうとも思う。
leica m-p + leica summilux35mmf1.4asph
森友問題担当の財務省近畿財務局の方が亡くなられたそうだが、この問題に起因して亡くなったとしたら悲しい。
言えずに自分が墓まで抱えて行ったのだろうか。
著名人でない限り人の死はいろんな感情とともに多少の記憶に残るとしても、多くの人からは風化してさらさらと風に舞うように記憶の端っこに飛んでいってしまう。
たかが仕事、仕事が人生じゃない。
死んで家族が泣いて自分の未来も捨てて何の徳があるのだろうか。
生きていればいつか笑えるときがくるかもしれないのに。