小学5年生の時に家を引っ越した。
子供部屋は本宅ではなく、隣にあり、台所の勝手口から草履を履いてその部屋に行っていた。
寝る場所は押入れを改造したベッドで、その天袋には両親が昔読んだ本などが並んでいた。
その中に野口雨情の詩集があった。
シャボン玉、赤い靴・・・・
これらの曲を聴くと胸がきゅんとするような悲しい気持ちになった。
生まれ育った家の子供部屋は二階にあって、シャボン玉を飛ばすと、隣の平屋から迫り出した柿の木の枝や葉をすり抜けて、その赤茶けたトタン屋根の向うに飛んでいった。
78回転の蓄音機が子供部屋にあって、そこで童謡を聴いていたようにも思う。
蓄音機のSP盤は、おさるの籠屋とかベートーベンの田園とか、脈絡のない重たい音源が雑多に置かれていて、1曲ごとに鉄の針を取り替えながら聴いた。
赤い靴。この曲は片田舎の少年には具体的に想像できないものがいっぱいで、それが余計に怖いものにさせていたんだと思う。
港・・異人・・どれも見たことがなかった。
S5Pro+VR24-120
ゆみんちゃんのブログを読んでてちょいと思い出したことを書きました。
子供部屋は本宅ではなく、隣にあり、台所の勝手口から草履を履いてその部屋に行っていた。
寝る場所は押入れを改造したベッドで、その天袋には両親が昔読んだ本などが並んでいた。
その中に野口雨情の詩集があった。
シャボン玉、赤い靴・・・・
これらの曲を聴くと胸がきゅんとするような悲しい気持ちになった。
生まれ育った家の子供部屋は二階にあって、シャボン玉を飛ばすと、隣の平屋から迫り出した柿の木の枝や葉をすり抜けて、その赤茶けたトタン屋根の向うに飛んでいった。
78回転の蓄音機が子供部屋にあって、そこで童謡を聴いていたようにも思う。
蓄音機のSP盤は、おさるの籠屋とかベートーベンの田園とか、脈絡のない重たい音源が雑多に置かれていて、1曲ごとに鉄の針を取り替えながら聴いた。
赤い靴。この曲は片田舎の少年には具体的に想像できないものがいっぱいで、それが余計に怖いものにさせていたんだと思う。
港・・異人・・どれも見たことがなかった。
S5Pro+VR24-120
ゆみんちゃんのブログを読んでてちょいと思い出したことを書きました。
また写真も好きで、いま手元にあるCanonAE-1(FD50mmF1.4)は父の遺品です。
クイックリターンミラーのショックアブソーバーがぼろぼろになったので自分で修理し、撮影しました。
譲り受けた当時(1年前くらい)、NikonF70DでAF50mmF1.8しか持ってなかったので、ボケ方にびっくりしました。
いまでもLPに収録されていた曲を耳にするとなつかしい気持ちになります。
「そういえば、自分はそのころ・・・」って
よく、ついでにいろいろ思い出したりします。
ちなみに、私は、「異人さん」のところを、
「いいじいさん」とばっかり思って歌ってました。
ぼくは懐古主義なだけですよ。
ReMさんみたいにいい写真を撮ってみたいです。
音楽でその当時の情景などが浮かぶことってありますよね。
形見であればなおのことです。
ぼくの親は仕事以外の姿をみせることがない人でした。形見があるのはうらやましいです。
いいじいさんですかぁ~
そうなると、とてもいい歌になりますよね。^^
ぼくの住んでる町内会では以前は元旦に蛍の光を歌ってましたよ。長老のおじいさんが面白い人で、「ぞけ」(田舎の呼び方で「ぞけさ」になります)という人が走っていくという歌だと若い頃思っていたというので、そのおじいさんがよく手振りをつけて歌ってくれました。
ゆっくりしてゆきます^^
自分もそこにいるかのような錯覚を
覚えます。
昔の童謡は結構マイナーな曲調も多くて
訳もわからず不安な気持ちになったような
気がします。
そして和風な写真とっても情緒がありますね。
かごめはもっとゾッとしますよね...
ごゆっくりしていってください。