この黄梅院はずっと前から知っていたが桜を観たのは今年が初めてだ。
小学生の時のIQテストで成績が異常によかったことで、なにかインチキをしたのではないかと親が学校に呼ばれ校長室かどこかで一人再度テストをさせらたことがあった。
だからと言って学校の勉強が特にできるわけでもなく僕は田舎の小学校から中学高校大学と常に3流のまま現在に至っている。
祖母からは「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」と上杉鷹山の言葉を口癖のように言われていたような気がする。
僕は「為さねばならぬ」を実践したような生き方をして現在に至っている。
もしかしたら末は大臣かと思ったのかは知らないが、母がこの田舎には珍しい塾なるものを探し当て小学生の僕を入れた。真意のほどはずっと昔に入ってしまった両親の墓に聞くしかないけれど。
それから週2回、ちょっと遠回りしてこの寺の横を抜けて丸いドーム形の小学校の入口にある小さな駄菓子屋に寄って塾に行くのが僕の楽しみになった。
ある時銀玉鉄砲とスカのゴム風船だけが残ったくじを見て小学生の大切な小遣いで2枚のくじを引いたけれど、当たったのはゴム風船だけで銀玉鉄砲の当たりがなくて泣きそうな気分になった。駄菓子屋のオジサンはバツの悪いものを見たような顔をして銀玉鉄砲をさっさと片付けてしまった。
それ以来その駄菓子屋に寄ることはなかったので、この寺の前のルートは変更となり通ることもなかった。
丸美屋からスーパージェッターのふりかけが発売になり、僕はその付録の小さなおもちゃを持って空を飛ぶ想像をしながら町の裏通りを駆け抜けていた。
どうして金属の飛行船がくにゃっと曲がって飛ぶのだろうかなど、僕の疑問は英単語などではなくスーパージェッターのことで埋め尽くされていて、学業には何も効果もなかったが、夢馳せる景色は裏路地の記憶の数だけ増えた。
FUJI S5Pro + TOKINA SD1224DX F4
小学生の時のIQテストで成績が異常によかったことで、なにかインチキをしたのではないかと親が学校に呼ばれ校長室かどこかで一人再度テストをさせらたことがあった。
だからと言って学校の勉強が特にできるわけでもなく僕は田舎の小学校から中学高校大学と常に3流のまま現在に至っている。
祖母からは「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」と上杉鷹山の言葉を口癖のように言われていたような気がする。
僕は「為さねばならぬ」を実践したような生き方をして現在に至っている。
もしかしたら末は大臣かと思ったのかは知らないが、母がこの田舎には珍しい塾なるものを探し当て小学生の僕を入れた。真意のほどはずっと昔に入ってしまった両親の墓に聞くしかないけれど。
それから週2回、ちょっと遠回りしてこの寺の横を抜けて丸いドーム形の小学校の入口にある小さな駄菓子屋に寄って塾に行くのが僕の楽しみになった。
ある時銀玉鉄砲とスカのゴム風船だけが残ったくじを見て小学生の大切な小遣いで2枚のくじを引いたけれど、当たったのはゴム風船だけで銀玉鉄砲の当たりがなくて泣きそうな気分になった。駄菓子屋のオジサンはバツの悪いものを見たような顔をして銀玉鉄砲をさっさと片付けてしまった。
それ以来その駄菓子屋に寄ることはなかったので、この寺の前のルートは変更となり通ることもなかった。
丸美屋からスーパージェッターのふりかけが発売になり、僕はその付録の小さなおもちゃを持って空を飛ぶ想像をしながら町の裏通りを駆け抜けていた。
どうして金属の飛行船がくにゃっと曲がって飛ぶのだろうかなど、僕の疑問は英単語などではなくスーパージェッターのことで埋め尽くされていて、学業には何も効果もなかったが、夢馳せる景色は裏路地の記憶の数だけ増えた。
FUJI S5Pro + TOKINA SD1224DX F4
こんにちは!!
色々とありますね、楽しい思い出も辛い思い出も。
色々とあるけど、普通の人は大抵は何とか普通に生きていき
振り返ると懐かしく感じますね。
僕なんか小学校一年生の頃とんでもなく成績が悪くてもう少しで特殊学級入りするところでした。
その後、小学校3年生から6年生まで月曜日から土曜日まで小学校が終わったら全部塾。
小学校が終わり家の前で子供が遊んでるのを横目で見ながら塾に通いました。
子どもとしては辛かったけど.....
あの時頑張ったから今がある....
なーんて^^;
あの頃の小学生時代、僕は楽しく感じることが出来たのかな......
覚えています。ジェッター ジェッター スパージェッター
僕らのスパージェッタ~♪
それより、このしだれ桜はすごいなぁ
昔を思い出す所があるのは いいですよね^^
ウチの家の周りには 昔の面影はほとんど無いですよ
半世紀以上経てばあたりまえか(笑
それにしても この桜は見事ですね。
私は小学校の時に自分から望んでお受験をするため塾を見に行って、やっぱりおもしろくないから行かない!といってから塾なるものに行ったことがありません・・・・
行ってみれば良かったと今は思ってみてます、それはそれでおもしろかったのかもしれません・・・・・
結構渋いところをついた商品を出すので
面白いメーカーだなあと思ってみています。
上杉鷹山・・・素晴らしい人ですよね。
私も3流・・・いや5流かもしれません。
何事も自分の領分と言う物をわきまえてやるように勤めていますが・・・
なかなか・・・・です。
書けなくなりました(^^ゞ
銀玉鉄砲・・・懐かしいな。
私も駄菓子屋のおばちゃんは非常というか
冷たい一面があることを子供心に感じた思い出があります。
お金持ちになったり貧乏だったり、大学の先生になったりフリーターだったり、銀行員だったり水商売だったり、まるで対極のようで案外近いところにあります。
中卒でもすごい人はいっぱいいるし、大卒でもダメな人もいる。そんなこと、親だってわかってる。
でも親はいろんなことを考えちゃうんでしょうね。
おかげで教育をちゃんと受けられたことにとても感謝しています。
感動しました。
読売新聞の日曜版でもフォト・エッセイをやってますが、mintonさんのほうが
ずっとグレードが高いし、多くの人達の共感を得るだろうとおもいます。
こうしてフリーのブログで綴られているのがいたましいくらいです。
それにしてもスーパー・ジェッター懐かし過ぎです。流星号に憧れましたね~。
ここの桜はちゃんと見たのは初めて。
この日も遠いところから見に来ていたので、ちょっとだけ有名なのかななんて思いました。
広角レンズってこういう風に撮影できて面白いです。
田舎町は開発されることもないので、古い町並みはもっと古い町並みとなっているだけで、半世紀前とほとんど変わっておりません。
僕が子供のころから安普請の安っぽい家は今もそのまま頑張っています。
田舎のいいところなのかどうかはわかりませんがねえ。^^
僕も塾なるものはそれが最初で最後。
親は諦めたのでしょう。
スーパージェッターの前は、エイトマンはなぜ腕を動かさずに足があんなに動いているのかと悩み、自分でも腕を動かさずに走ったことがありました。
まだ丸美屋さんは頑張っていたんですね。
その当時、ふりかけのおまけがほしくて朝ごはん頑張って食べていました。
おまけっていろいろありましたね。
マーブルチョコとかグリコとか。懐かしいです。
先人の言葉には薀蓄があり、圧倒されるほどに自分を覗かれれいるような気持ちになります。
大したものです。sacraさんは立派にご出世されて素晴らしいと想像しております。
僕は海外なんて数えるほどしか行っておりませんし、なにより自分が一番知っています。
でもこれが自分の生き方だったのだし、今からやり直せるわけじゃないので、今を精一杯がんばるしかないですね。
S5Proは解像度は高くないですが、諧調の出し方や色など、他のカメラと違うところに特徴があります。
もうやめちゃおうと思いながらも、お別れ記念の旅みたいな感じで持ち出しては、もう少し手元に置こうと思い直して今に至っております。
駄菓子屋のおじちゃんやおばちゃんは往々にして子供がそれほど好きじゃないような気さえします。
大人の縮図みたいなものを教えてもらいました。
こういうちょっとしたことを重ねて大人になっていくのだと思います。
ジェッターの歌、いまだにたぶん全部歌えます。(笑)
夢中になりました。
あんなんでどうやって応答してくれるんだとか、古くは鉄人二十八号はなんであんなコントローラーで細かい動きができるんだとか。
最近のロボットは自分である程度の動作をするので、今にしてあれでもよかったのかななんて思うんですが、なんであの少年だけがガチャガチャと動かすのだよ?なんて。
流星ワゴンという小説のオデッセーはあの父親にとっては流星号だったんじゃないか、もしかしたら作者にとってそうだったんじゃないかなんて思ってしまうんですよ。
私も駄菓子屋で同じような経験をしました
数枚の残りくじを全部引いても残っていた商品は当たらなかった不信感
今でも忘れません^^;
やはりありましたか!!
なんか、子供心にかなり虚しくなりました。
大人の自分だったら、なんでスカなんだと問うたと思うんですが、ただただ悲しかったような気がします。
そういう小さな経験で大人になっていくんですね。