中高校生の頃ニューサイクリングという月刊誌を読んでいた
これは兄が好きで読んでいた雑誌で、どちらかといえばアウトドア情報が刷り込まれた感じだ
僕は子供の頃から音楽や読書好きのインドア派で、目から情報を入れて頭で構築して、現実は何もしないで家にいるタイプだ
そんな文系人間の僕がニューサイクリングで見たのは、モノクロだけどニッコウキスゲが一面に咲き誇る霧ヶ峰の景色
まだビーナスラインがない頃だ
iphone13pro
車山のニッコウキスゲ
これは兄が好きで読んでいた雑誌で、どちらかといえばアウトドア情報が刷り込まれた感じだ
僕は子供の頃から音楽や読書好きのインドア派で、目から情報を入れて頭で構築して、現実は何もしないで家にいるタイプだ
そんな文系人間の僕がニューサイクリングで見たのは、モノクロだけどニッコウキスゲが一面に咲き誇る霧ヶ峰の景色
まだビーナスラインがない頃だ
iphone13pro
車山のニッコウキスゲ
そんな素敵な花言葉があるんですね。とても可愛い花です。
天気がいい日だと、ビーナスラインを移動していると、グライダーの影が車を追い越していって、すぐ近くにグライダーの腹が見えたりもします。
少し移動すれば美ヶ原高原美術館もありますし、冬は王が頭ホテルや山本小屋に宿泊して、白銀の世界を歩くこともできます。
松本からすぐですから、松本城や開智学校なんてのもありますよ。
ぜひお越しください。
花言葉は「日々新たに」「心安らぐ人」
ニッコウキスゲを見た事は有りませんが、TVで各地で咲いているのを知りました。
このブログで長野県のすばらしさを知りました。
一度行ってみたいと思っています。
ニッコウキスゲは信州でも結構見かける花です。
僕は花に詳しくないですが、霧ヶ峰だけではなく他でも咲いていたような気がします。
でも車山周辺は有名です。そちらからなら日光より近いので、機会があればぜひお越しください。
信州は涼しそうですが、そちらよりは涼しいと言うだけで、日中は暑いです。
標高2000mくらいまで行くと涼しいですけど。
ニッコウキスゲを見たくて霧ヶ峰に行ったことは実は初めてなんです。
あの花は1日で枯れてしまうので、ピークが過ぎると寂しくなるのも早いですね。
今年はこの撮影した日がピークのようでした。
この場所は車山肩でしたが、その手前がもっと咲いていました。
僕は八島ヶ原湿原方面まで歩きたかったので、肩に行きましたが、それでもかなり咲いていました。
花を見に行った人たちは満足されたと思います。
フレンド商会は時々顔を出していました。
毎月の例会が店長の自宅で行われてたので、そこにも結構顔を出していました。
あそこのメンバーは結構な猛者が多くて、あそこの近くから千葉大に自転車で通ってるなんて人もいました。
僕は都内から多摩川沿いや埼玉の通常の移動は自転車でした。
フランスの部品が好きでまだどこかにユーレーのディレイラーやルクソールのランプなども持ってるはず。
先日片付けていたら、カンパニョロのディレイラーやイデアルの四角い受けの形のサドルが未使用で出てきました。
きっとお会いしてたはずですね。
大平峠、飯田峠は庭のような場所です。
信州に帰る時は杖突峠や有賀峠、ビーナスライン、松本から軽井沢方面の青木峠、飯田方面から乗鞍までの境峠などなど、走り回っていました。赤石のスーパー林道や入笠山方面や保福寺峠も行きました。
でもインドア派なので、自宅の布団で寝たい派で、冒険できないタイプでした。
もっと突き抜けて遊んでおけばよかったんと思います。輪行は結婚後も時間があるときにしていましたが、フレンド商会のツアー以外では基本は常に一人旅。
群れて遊ぶのが苦手。やはりインドア派です。
信州でも咲くのですね。
灼熱の愛知県では見たことがない花です。
こちらに咲いているのは、濃厚なオレンジが暑苦しいノウゼンカズラばかりです。(-_-;)
そしてそれを再び見たいと 何年か後に行きましたら、寂しいぱらぱらと咲いているだけで空しかったのを思い出しました。
最近はその咲き方はどうなんでしょうか・・・・
えっ!、阿佐ヶ谷のフレンド商会ですか。
たぶんmintonさんが通った頃(私が19歳から25歳くらいまで)には
フレンドでアルバイトを毎日していました。
なので間違いなくお目にかかっていましたね。
当時はどんな会話をしたのかなぁ?
白地図を赤線で埋めていくのは私もやりました。
それにしても冬の徳本峠ですか、猛者ですね。(^^)
冬の峠といえば私は信州峠、大弛峠、木賊峠、十文字、
十国峠など、小海線で向かって、秩父や甲府に降りてくるコースが好きでした。
まだ舗装になっていない頃でしたが、チューブラータイヤで遊んでいました。
大平峠、飯田峠、しらびそ峠、地蔵峠など、
信州の憧れの峠はいくつもありましたが、
小僧の頃の自分には遠いこともあって、なかなか手が出せない峠でした。
なんというか、ベテランが走る峠みたいなイメージがあったんですよね。
たしかこの辺の峠を超えたのは30近くになってからだった気がします。
アルプス・クイックエーススーパーで輪行していたのが懐かしいです。
あの雑誌を観て、いつかはトーエイの自転車で輪行したいと思いました。
実際は杉並のフレンド商会に通うことになりましたが。
大学に入ってすぐに輪行会員とユースホステルの会員になりました。
毎週狭山湖往復をしていました。
あの本を観て峠をイメージして白地図で標高と坂をイメージ。そんなことが楽しい時期でした。
当時は上高地日帰りで本気で徳本峠を自転車で越えようと目指したことがありましたが、雪で行けず。笑
行かなくて正解でした。本当に畏れ知らずでした。
その当時はまだカラー写真を使うと費用的に難しかったのかもしれませんし、写真がモノクロが普通でした。
薄い雑誌でしたから、仕方なかったのだろうと思います。
寄稿文で長野の古い峠を知り、いつかは走ってみたいと思っていましたが、
当時は電車に自転車を乗せることもできず、走って行くには遠くて、
いつも雑誌の写真を見て憧れていました。
北八ヶ岳も担いであがる記事があったり、随分刺激を受けたものです。
懐かしいです。
夏空をモノクロで撮るのも素敵ですね
ちょっと赤外線風に夏空を雲と一緒に表現すると素敵なのかも
うーん......ニッコウキスゲの風景のモノクロ
素敵な景観になりそうですね