自宅近くの本屋で文庫本の中に「どくとるマンボウ青春の山」を見つけた。
2019年10月に出た北杜夫の新刊だ。とは言うものの1960年代から雑誌に寄稿した随筆などを1冊にしたものだ。
北杜夫は中学校の図書館で「どくとるマンボウ航海記」を読みその翌日には「どくとるマンボウ昆虫記」を借りて読んだ。ドクトルジバコ他ドクトルシリーズは勿論天井裏の子供たち、高見の見物、黄色い船、白きたおやかな峰、楡家の人々などかなりの作品を読んだ。
とてもペーソスの効いた文章を書いたかと思えば、硬く小難しい文章も書く人だ。といいながら、僕の少ないRAM空間は他のもので溢れてしまって小説のあらすじさえ曖昧だ。
忘却とは天が与えたプレゼントのようなもので、新しい小説のように楽しめる。
ご存知のように斎藤茂吉を父に斎藤茂太を兄に持つ彼だが、大学時代に友人になった年上の女性が斎藤病院に勤務されていて、実存する方々だと認識できて感動したことを思い出した。
どの文章も北杜夫そのもので楽しめたが、この本で一番和んだ文章は、北先生には申し訳ないがそのままの北杜夫という人を書いた妻の齋藤喜美子さんの「山の思い出」だった。
finepix x100
電柱を支えるワイヤーに絡まった雑草。今日は晴れながら雪が舞う変な天候だった。
2019年10月に出た北杜夫の新刊だ。とは言うものの1960年代から雑誌に寄稿した随筆などを1冊にしたものだ。
北杜夫は中学校の図書館で「どくとるマンボウ航海記」を読みその翌日には「どくとるマンボウ昆虫記」を借りて読んだ。ドクトルジバコ他ドクトルシリーズは勿論天井裏の子供たち、高見の見物、黄色い船、白きたおやかな峰、楡家の人々などかなりの作品を読んだ。
とてもペーソスの効いた文章を書いたかと思えば、硬く小難しい文章も書く人だ。といいながら、僕の少ないRAM空間は他のもので溢れてしまって小説のあらすじさえ曖昧だ。
忘却とは天が与えたプレゼントのようなもので、新しい小説のように楽しめる。
ご存知のように斎藤茂吉を父に斎藤茂太を兄に持つ彼だが、大学時代に友人になった年上の女性が斎藤病院に勤務されていて、実存する方々だと認識できて感動したことを思い出した。
どの文章も北杜夫そのもので楽しめたが、この本で一番和んだ文章は、北先生には申し訳ないがそのままの北杜夫という人を書いた妻の齋藤喜美子さんの「山の思い出」だった。
finepix x100
電柱を支えるワイヤーに絡まった雑草。今日は晴れながら雪が舞う変な天候だった。
今年は暖かいですねえ。
朝は-10度くらいだったのでしょうが、今は8度くらい。
こんな感じで週末を過ぎれば3月の気候になるらしいですね。
海辺の都市は晴天が続きますが山間部は雪が降ったりして曇天です
来週からは暖かくなる予報が出ています
一気に暖かくなりますかな?
身の回りの普通のものも撮影してみると、なんだか魅力的に見えるものってあるんだなあと思いました。
またなにか見つけたいです。
何だか天の方に手を伸ばしてる光景を連想してみてしまいました^_^;
雲の隙間からの光芒......
モノクロで撮ると素敵ですね
僕のメモカメラのような使い方なら初代のままでも用は足りるかなとも思っています。
結構ダイナミックレンジ広いので、高感度や多少の使い勝手は劣りますが、道具としてはそれなりの完成度です。
でもX100Vはデザインもかなり変わっていてそそられます。
旧制松本高校ですねえ。あがたの森ですね。
あちらこちらの以前の随筆を集めたので、似たような内容もあります。
まだ釜トンネルがない頃ですから、徳本峠のことが出てきます。美ヶ原もビーナスラインがない頃ですから、三城から王が頭のコースをかなり登ったようです。
新型格好いいなぁと思ってます
欲しいけど、思案するばかり
この一枚をみると初代から画には不満なんて出ませんね
読書家のmintonさんの文章で色々と勉強になります
どくとるマンボウ^^ 懐かしいです。
旧制松本高校ですね。
新刊が出ていたのですね。知りませんでした。
X100Vが発表になったので、初代はどんなんだったっけと思いながら持ち出しました。
仕事の移動中に廃屋を見つけて撮影してたら目に止まりました。
カラーだと青空と暗い雲が面白い感じでした。光芒を出したくてあえてモノクロ。(笑)
意外に山沿いなんかにありそうですが、気が付きません
着々と作品ができて裏山です
晩年は御病気で投資で失敗されたことは当時のテレビのニュースで知りました。
個人的な見方ですが、北杜夫という作家は芥川賞をもらい、若くして数々の作品を残した故に、それを超える作品を書きたくても書けない作家としての辛さが御病気を重いものにしてしまったような気がします。もし北先生が創作の世界から一時きっちり離れて医療の世界だけに入って生きたなら違った人生だっただろうとも思いました。
瀬戸内寂聴さんが川端康成の最期について、作家としてものが書けなくなったときの苦しみを語っていました。北先生もきっと苦しんだんじゃないかと思います。
あの奥様がいらっしゃったから北杜夫という作家が作品を作り続けられたのだろうと思いました。
ご結婚された当時からご苦労があったようですが、晩年の苦労は大変であったと思います。でもめげずにリハビリを兼ねて車いすで上高地などに出かけたりして、病人扱いせずに前向きで素晴らしいです。
自分がもし北さんだったら、自分がもし奥様だったらと考えると思うところがあります。
気丈で情に厚く深い愛を持っている女性だと思いました。
山の思い出というのは、編集後記に代えて奥様が書かれた短い文章です。
僕も若い頃の北杜夫作品しか知らず、晩年のことはあまり知りません。
彼の父の斎藤茂吉も短歌をひとつ作るのに顔を真っ赤にして唸るようにして苦しんで作品を絞り出したという話があります。とても生真面目な性格のご家庭であったのだろうと想像しました。
斎藤喜美子さんって、あの84歳で南極旅行に出かけられた、バイタリティに溢れたおばあちゃまですよね。私の理想です。(笑)
でも、ご主人の躁鬱病と長年戦われて、随分ご苦労なさったようですね。北杜夫さんは躁状態の時には、色々な事がやりたくなって、そのために24時間株式投資をして、莫大な借金をこしらえたりされたそうです。 でもこの奥様なら、全然へこたれずにご主人を支えてこられたんだろうなというような、楽天家のある意味女傑ともいえるような方だったと記憶しています。テレビに出演されたのを見て、本当に北杜夫さんを深く愛している姿に感動してしまいました。
私も、「山の思い出」を読んでみたいです。