二日間福井県へ地元の公民館活動の研修旅行があった。
参加者は60歳前後から70歳までがほとんどだった。
バスの中では演芸会の様相を呈し、三波春夫の赤穂浪士を丸ごと演じきる人もいるし、昭和20年、30年代の歌を合唱したりと、それはにぎやかな旅行だった。
しかし悲しいかな、ぼくの知る音楽はどこにもなかったし、楽しめる話しもそこになかった。
年代ギャップということもあるかもしれないが、若い頃に何を体験したかという部分が趣味に影響するんじゃないだろうか。
帰りのバスではさすがに疲れたことと、花粉症が悪化してしまったこともあり、数日前に購入したジャズのブルーノートの6枚組のCDをiPodにリッピングしたものを聴いていた。
ぼくにとっては同じ古いのでも、1960年代辺りのJAZZが心地よく癒される。
小さな会社の息子だった我が家は少しだけ裕福で小さい頃から蓄音機があった。そのおかげで小さい頃から78回転のSP盤でいろんな音楽を聴いていた。母が音楽好きでオルガンがあったので、習ったわけではないが、ぼくもバイエルを弾いていた。
家でギターを作っていたいこともあり、西洋音楽ばかりを聴いて育ったぼくには、演歌はいまだに異質な音楽。心地悪くはないけど長時間だと厳しい。
変わり者じゃないかと自己分析するぼくの性格の根底には、生まれ育った環境の違いも大きいのかもしれない。
きょうの写真は数日前に撮影したもの。深夜3時頃にぶらりと散歩した旧山手通り。
参加者は60歳前後から70歳までがほとんどだった。
バスの中では演芸会の様相を呈し、三波春夫の赤穂浪士を丸ごと演じきる人もいるし、昭和20年、30年代の歌を合唱したりと、それはにぎやかな旅行だった。
しかし悲しいかな、ぼくの知る音楽はどこにもなかったし、楽しめる話しもそこになかった。
年代ギャップということもあるかもしれないが、若い頃に何を体験したかという部分が趣味に影響するんじゃないだろうか。
帰りのバスではさすがに疲れたことと、花粉症が悪化してしまったこともあり、数日前に購入したジャズのブルーノートの6枚組のCDをiPodにリッピングしたものを聴いていた。
ぼくにとっては同じ古いのでも、1960年代辺りのJAZZが心地よく癒される。
小さな会社の息子だった我が家は少しだけ裕福で小さい頃から蓄音機があった。そのおかげで小さい頃から78回転のSP盤でいろんな音楽を聴いていた。母が音楽好きでオルガンがあったので、習ったわけではないが、ぼくもバイエルを弾いていた。
家でギターを作っていたいこともあり、西洋音楽ばかりを聴いて育ったぼくには、演歌はいまだに異質な音楽。心地悪くはないけど長時間だと厳しい。
変わり者じゃないかと自己分析するぼくの性格の根底には、生まれ育った環境の違いも大きいのかもしれない。
きょうの写真は数日前に撮影したもの。深夜3時頃にぶらりと散歩した旧山手通り。
気の合う友人や家族との旅行なら、心置きなく楽しめますが…
お気疲れもあるのではありませんか?
よく休んでくださいね
年齢のギャップ…浦島太郎?…宇宙人?にでもなったような気分になるときありますよね。
知らないから話にも入っていけず、うなづきマシンか?なんて(^^ゞ
浮いているような自分の存在を見てしまうような…
年齢のギャップ…時代の違いで違う世界も出来上がる…そんな授業だったのですよ~。
今度は楽しい授業が受けられるといいですね♪
ぼくの知らない音楽は戸惑いを感じます。
サザンオールスターズもユーミンも知らない。その頃流行していたはずのビートルズもビーチボーイズもプレスリーも知らない。岡林信康や吉田拓郎も五つの赤い風船もエイプリルフールも知らない。
単なるジェネレーションギャップじゃなくて、文化の違いをいつも感じてしまうんです。
でもこの田舎ではぼくのほうが変わり者です。
音楽的な接点がないんですね。FEN(極東放送)の存在すら知らない・・・
ここに住む限りここではなんの意味もなさない。知っていることが不幸のようにさえ感じてしまいます。
ぼくがもっと融合する必要があるんでしょうが、どうしてもダメです。笑
そういう自分もそのうち時代遅れになっちゃうんでしょうね。