ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

みるみると見てみる展 1回目ナビの金谷さんからのレポート到着です!!

2015-01-28 20:26:37 | 対話型鑑賞


今回の「みるみると見てみる展」は当会の会員でもある廣田さんの企画展示になっています。廣田さんなりのシークエンスがあるようですが、そこにしばられ過ぎると自分のナビを見失うのではないかと思います。

初回のナビを担当した金谷会員からレポートが早速届きましたので、お届けします。


「みなさーん!今年も、『みるみると 見てみる?』の季節になりましたよー!」
っと、失礼しました。「みるみると 見てみる?」とは、島根県立石見美術館で開かれているコレクション展「あなたはどう見る? -よく見て話そう、美術について-」の関連イベントのことです。展示室で、お客様と一緒に対話をしながら作品を鑑賞します。今年度第1回目となる1月25日に、ナビゲーターをさせていただきました、みるみるの金谷です。鑑賞会の様子と、その後のふりかえりについてレポートします。

「みるみると 見てみる?」
・平成27年1月25日(日)13:30~14:10
・島根県立石見美術館 展示室Aにて
・鑑賞作品(数字はキャプションの番号) 1「若い女性の肖像」ラファエル・コラン(1889)、 2「裸体」黒田清輝(1889)、 3「裸婦」中村不折(1900~1920頃)、 4「裸婦」大下藤次郎(1897)、 5「裸婦」大下藤次郎(1897) 
・鑑賞者 一般参加者3~7名、みるみる会員5名
・ナビゲーター 金谷

鑑賞会の様子

はじめに、この鑑賞会のルールと大切にしたいこと「よくみること」、「よく考えること」、「挙手して(あてられてから)話すこと」、「他の人の意見をよく聴くこと」について確認。(以下、ナ:ナビ、鑑:鑑賞者、(1)などは作品番号)

ナ「今日見ていただく作品は、これら(1~5)の裸ん坊の作品を見ていきたい」「まず、このふたつの作品(作品1、2)を見ていきたい」(近づいてじっくりみる時間を取る)

・1,2の作品について
ナ「この2作品をみられて、気づかれたこと。みつけられたことなど、どうぞ」
鑑「この辺りから見ると、右側の絵(1)は肌がきれい。でも、近くで見るときたない(あらい)。左側の方(2)も・・・」
ナ「近くと遠く見ると、また違うという感じですね」

鑑「右(1)は光が当たっていて、(肌の)白を強調するような描き方。左(2)は逆光で、別のものを狙っている。形がはっきりしているので、プロポーションの美しさを描きたかったのではないか。左は一つの画面を切り取ったような印象」

鑑「うなじという言葉はご存知ですか?昔の人は、うなじが美しさを見せるところだった。そういう面では古風だが女性の美しさを表しているんじゃないかと思った。」
ナ「古風とおっしゃいましたが、この作品は明治の後半に描かれた作品。(1は)うなじから背中にかけて輝くような美しさ、左(2)はプロポーションの美しさがあらわされている」

鑑「(1の女性は)向こうを向いているので、見えてないものを想像させるような感じ」
ナ「女性の象徴である乳房を隠していることで、より女性を意識させる」
鑑「(1の女性の)左の乳房はわざとらしい 無理やり寄せているような感じを受ける」
鑑「右の作品(1)はエロイ感じ。左(2)はそう感じない。一つの風景として描きたかったのではないか」
ナ「エロい感じがする(1は)、女性性を出していると捉える?」
鑑「ならば、右(1)のほうが風景という感じはする。左(2)はスケッチ会という感じ。(2は)風景というよりも、そのままを描こうとしている感じ」
鑑「右(1)は作品という感じがする。左(2)は筋肉のつき方とかを学ぶための習作という感じ」
ナ「左の作品(2)は作者がパリに行って人体を学ぶために描いたもの。人体の描き方、光と影を学んでいるときのもの。そこに違いがあるのかもしれない」

・3、4、5の作品について
鑑「1、2の西洋人のヌードは様になる。 東洋人のヌードは、特に3は裸で本を読むというのはあり得ない」

ナ「3、4は日本の女性。では他には?」
鑑「髪型とかからして、古い、明治、大正などの時代ではないか。その時代に女性が裸で絵をかかれるって大変なことではないか?日本の女性の裸を書いて人体の有り様を描きたかったのではないか」
鑑「裸で傘を持っている絵もある。違和感がある。生活のリアリティを描いたのではないとは思うが、もう少し考えてポーズをとらせても良かったのではないか」
鑑「左側の足(のデッサン)がおかしい」

ナ「この3点とも明治の終わりの作品。(作品)1から約10年後に描かれた作品。西洋の絵に学ぶ、まずは裸婦を描くということで学ぼうとした。そういう時代の作品」
鑑「生活のリアリティは体から現れる。左(3)は下半身が非常に力強い。生活感がある。4は両腕ががっしりしている。(体型から)まだ出産とかしていない。この二の腕で生活を支えていたのでは」

鑑「左の作品は紙?紙の方が肌の陰影がリアルに表現出来る」
鑑「2番は描いた当時はもっと明るい感じだったのではと想像する」
ナ「そこからどう思われますか?」
鑑「油彩なので、年月が経つと変わってくる」

ナ「もう一度1〜5を一まとめで見たときに違いや気づかれたことは何か?」
鑑「描き方について、1の絵はこの部分が凹んでいるように見える」

鑑「グラントワの作品の中から、この作品が選ばれた理由を考えると、西洋と東洋の裸婦ということで並べられたと思うが、それぞれの年代は?」
学芸員「並べてみて思ったのは、体の違いはこうもあからさまになるものかと思った。皆さんはどう思うか?」

鑑「額縁(の豪華さ)が違うので、日本の作品はハンディキャップがある」
鑑「体つきの違い、西洋は文化として裸の美しさを追求する文化がある。」
鑑「この水彩(4)が気になる。肘から下は日に焼けているから赤い。普段はモデルなんてするような感じではないのでは。西洋風の布をまとわされて恥ずかしい、体の姿勢からからも感じる。西洋のモデルは堂々としている」
ナ「シチュエーションはリアリティがないけれど、日焼けの跡や体つきから生活を感じることはできる。」
鑑「表情や仕草から、見ている私たちが恥ずかしくなっているのではないか。1、2は西洋のモデルで堂々としている。プロのモデル。東洋(3,4,5)は恥ずかしく思っているように感じられるので、見ている方が恥ずかしくなってくる」
鑑「トルソー的に胴体の美を描くのと、こういう全体の生々しい裸を描くのでは描く側に違いがある」

ナ「今回みた作品は、日本の裸婦の最初期の作品。今回裸の作品を見ていただくことで、裸になることの作品をみて、布をまとうこと、身にまとうことはどんなことなのかを考えるきっかけにしてほしい。この展示しつの中には、ファッションに関わる作品がたくさんあるので、楽しんでほしい」


鑑賞会後の振り返り (金:金谷、・みるみる会員の意見)
金)今日の私のテーマは二つ「よく聴こう」「情報を出せるところは出す」。
西洋の作品、東洋の作品 全体でという構成で展開することを想定していたが東洋の部分で行き詰るところがあった。
途中で「体つきの違い」についての提案があった。もっと体つきで迫っても良かったと感じる。
ナビが、ナビゲーションできていなかった。

・はじめに裸の作品と言ってしまったが、裸というキーワードは鑑賞者から出させても良い
・時代等に関する情報の提示の仕方は良かった
・西洋の方はスムーズだった。習作として描かれたものだということも言われ良かった。
・導入が流石だなと思った。最初の西洋の2点を比べる、右の端の1番はエロティシズムも感じるという意見など、面白かった。
・恥ずかしさ・違和感は何か・・・?
・スムーズにいきすぎて葛藤がなかった。正解を述べられている感じ。深く「どうなんだろう」と考えることがなかった。
・人間の感情を描く作品ではなかったと思う。
・今ここで「違和感を感じる」「恥ずかしい」などの議論が起こることがまちがっている。参加者の中に疑問を投げかけて、参加者が葛藤し、今出ているような意見をあの場で出させることがナビの仕事。
・初発のことに対して根拠を問うことはしなければならない。一つのことについて追求するする場がなかった。
・例えば紙のことに焦点が当たった時に、これまでのことを振り返って話してもらうなどの膨らませ方もあったのではないか。
・その発言がこの会でどんな意味があるのかを追求することが大切では?
・日本の裸を見ている時にバラバラと意見が出た。学芸員が入ることで比較する対象が整理されるといいなと思った。
・体つきを整理しても良かった。
・金谷自身が、東洋の女性の体つきに対する見解を十分に持ち合わせていないまま、ナビを行なっていたのではないかと思う。
・最後の「まとう・まとわない、この部屋には〜」は言わなくていいのではないかと思った。それは鑑賞者自身が思うこと。
・あのまとめで、そういう方向に持っていきたかったんだな、と思った。それに持っていくには今回のナビは遠すぎた。
・余裕がなかった。みんなに返して完結してしまうのが早すぎる。
・「私もナビですが、その疑問には賛成です」というのは良かった。だが、二人で対話が終わってしまっては、他のひとはおいてきぼり。
・視点を絞っても良かった。
・日本の絵は何を思って画家は描いたのかと思った。西洋は目的がはっきりしているから読み取りやすい。同じ時代に同じモチーフで描かれているのにこの違いはなんなのかを考えさせても良かったのか。
・作品リストにはどっちにも(3、4、5)「裸婦」である。画家は恥ずかしいと思う。モデルも、互いに恥ずかしい思いがある、それって日本人にとって「まとう」「はだける」のとらえにつながるのではないかと思う。
・日本でも裸の文化がないわけではない。風俗の一部として絵にした人たちと、裸を描くという人たちとはちがう。
・裸を描く方もモデルもいけないことをしているという意識があったのでは?
・キリッとした顔に見えた。モデルも覚悟が必要だった。
・今言っているような意見が、鑑賞会の場で引き出せたのではないか。
・わからないことを教えてもらうというスタンスで流せばよかったのでは?
・紙の話ももっと突っ込めば良かった。発言が早口でわかりにくいときは、周囲もわかりにくい。そこはパラフレイズする方が良い。
・それを小まとめすれば良い。
・始終笑顔で、雰囲気は話しやすかった。
・全体に返す時にフォーカシングする。そうしないと同じことの繰り返しになる。
・金谷は、なぜあの作品を選んだのか?
金)服をまとうと考えると裸がスタートだと思った。裸に対して語る機会はそうないので、やってみる価値はあると思った。
・美術ってなぜあんなに裸が多いの?と聞かれることがある。裸を描くことにも最初があった。
・切り口として「なぜ裸を描いたんでしょうね」ということもできた。
・日本の作品は胸が表現されていたが、西洋の作品は描かれていない。
・西洋と東洋の体を比べた時に見せ方が違うので比べようがないと思った。
・肉付き。骨格が違う。骨に合う服ということ。
・服に合わせて体つきが変わっていく。着ているものから分かる体の違い。


 
 今回の実践をふりかえりますと、ナビの基本がすっかりぶっ飛んでしまっていて、そんな自分がとっても残念。やっぱり、場数を踏むこと、そして日々どう人とかかわるのか(本当に、いま目の前の人を大切にしているのか)が、自分にとってカギになりそうです。と、すこしは落ち込んだりもするけれど、私は元気です(by KIKI)。
またまた、失礼いたしました。
「みなさーん!次回の『みるみると 見てみる?』は、2月1日(日)13:30スタートですよー。島根県立石見美術館へ集合!GO!GO!」


追伸:鑑賞会のはじめに「はだかんぼ」発言をしたのは、「裸婦」「裸」という硬くて高いハードルをぐっと下げて、空気とともにやわらかいものにしたかったからだと思います。


フィリップの書いたVTSの日本語版を読むと、VTSが何を目指しているのかが良くわかります。ナビは鑑賞者主体を忘れてはいけないと思います。そこがブレないナビができるよう今後も精進あるのみだと思います。

さて、みるみるのブログをご覧くださっている皆様の中に、教員免許状をお持ちの方もたくさんいらっしゃると思います。私たちみるみるの会の名付け親でもある福先生のいらっしゃる京都造形芸術大学で免許更新の講習会が開催されます。専門18単位が3日間連続で取得可能です。
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VTS,対話型鑑賞に興味のある方は、ぜひご参加ください。

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