平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




新大納言藤原成親(なりちか)は平治の乱で、首謀者の
藤原信頼に味方して敗れ、
死罪になるはずでしたが、
平重盛(清盛の嫡男)の妻が成親の妹、重盛の嫡男維盛の妻は
成親の二女、重盛の三男清経の妻は成親の五女と成親は
平家一門と深い
姻戚関係にあったので、重盛の命乞いで助けられました。

そんな成親ですが藤原師長(もろなが)が辞任し、
左大将のポストが空席になると、その職を狙って
大納言徳大寺実定(さねさだ)と競い合いました。ことに成親は
石清水八幡宮や上賀茂神社などに祈願を始めたといいます。

まず始めに石清水八幡宮に百人の僧を籠もらせ、
『大般若経(だいはんにゃきょう)』を七日間読ませました。
その最中に摂社の高良(こうら)社の橘の木に、男山のほうから
三羽の山鳩
が飛んできて、神前で互いにつつきあって死にました。
鳩は
石清水八幡宮の使いとされていましたから、
大騒ぎになり内裏へ報告すると占いが始まり、
「世の中に騒動が起こるので、臣下が謹慎しなさい。」とでました。
大般若経を読むというのは仏教ですが、
当時は神仏習合だったのです。




男山に鎮座する石清水八幡宮は、男山八幡宮ともよばれます。
古くから源氏・朝廷の守護神として信仰を集めました。

高良神社は石清水八幡宮の摂社で地元の氏神様です。
山麓の一の鳥居を くぐって少し行くと右手にあります。

高良神社扁額


かつて高良神社は、極楽寺とともに荘厳を極めていましたが、
戊辰戦争で焼失し、現在の社殿は明治12年に再建されたものです。



摂社高良社 祭神高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)



 『徒然草第52段』に記されている仁和寺のある法師が山上にある本殿まで行かずに、
麓の極楽寺と高良神社を参拝して帰り、「人々は山へ登っていたが、
私は参詣が本意で山登りはしなかった。」と語った話は有名です。


 
 
八幡神は成親の願いを拒否しましたが、それに懲りず今度は、
上賀茂神社に7日間続けて参拝しました。7日目の満願の夜の夢に
♪桜花 賀茂の河風 恨むなよ 散るをばえこそ とどめざりけり
(恨むなよ おまえの望みは かなえられない。)と
神様からのお告げがありました。

それでも諦めずに成親は、上賀茂神社の神殿の裏の杉の洞に
聖を100日間籠らせ、外道とされている
茶吉尼(だきに)の法(大願成就などを祈る呪法)を行わせました。
すると75日目にその杉の木に雷が落ち、
神社が焼失してしまいそうになりました。
このことを神官が内裏へ奏聞すると「聖を追放せよ」との宣旨が下り、
聖は一条大路より南へ追い出されました。

人事の結果は、右大将だった重盛が左大将に、宗盛が右大将に就任し、 
兄弟が左右の大将を独占してしまい、成親は左大将にはなれなかったのです。
この結果、成親の不満が爆発し、大事件に発展していきます。
『アクセス』
「高良神社」
京阪本線八幡市駅下車、石清水八幡宮の二の鳥居のすぐ手前

「石清水八幡宮」八幡市八幡高坊30
京阪本線八幡市駅下車徒歩約40分
または京阪本線八幡市駅からケーブルに乗り換え山上駅下車、徒歩5分
『参考資料』
新潮日本古典集成「平家物語」(上)新潮社 「京都府の歴史散歩」(下)山川出版社
 
 
 

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