平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



源頼政の守本尊と伝えられる「矢の根地蔵」が亀岡市横町にあります。
矢の根地蔵縁起によれば、地蔵は運慶作と伝え、頼政の家に伝わり深く信仰したという。
近衛天皇の頃、宮中に怪獣鵺が出て天皇を悩ました時、
頼政が弓矢をもって退治し、剣と丹波の国に領地を賜りました。
この領地をを矢代(やだい)の庄と称し、矢田の一帯という。
頼政は地蔵尊のたまものとさらに深く信仰し、
手の杖を山鳥の羽をつけた矢にかえたという。

治承4年(1180)頼政は、宇治の平等院で自害し、
首は宇治川に沈められましたが、地蔵尊と旗を家臣の猪早太が
当地へ持ち来り、頼政の菩提を弔うため堂を建て地蔵尊を安置したという。
世人はこの像のことを鵺の地蔵とも、矢代の地蔵とも称したと伝える。
現在も錫杖の代わりに矢を持っています。
「矢の根地蔵」は横町西堅町集会所に併設されたお堂に安置され
地域の人に大切にされています。(矢ノ根地蔵は非公開です。)



『アクセス』
「矢ノ根地蔵」(横町西堅町集会所)亀岡市横町 京阪京都バス西堅町下車徒歩7、8分

『参考資料』
新修「亀岡市史」第1巻 亀岡市史編纂委員会 「京都府の地名」平凡社 「日本歴史地名大系」平凡社



 

 

 


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亀岡市の東部に源頼政ゆかりの朝日山神蔵寺(臨済宗)があります。
寺伝によると、最澄開基とし本尊の薬師如来坐像も最澄作と伝えています。
正暦年間(990~995)に伽藍が造営され、天台宗寺院として一大勢力を誇り
26もの塔頭を抱えて源頼光はじめ源氏一門の崇拝篤く大いに栄えていました。

治承4年(1180年)以仁王・頼政が平家打倒の兵を挙げた際、
頼政から挙兵を促す知らせが届き、この寺の僧兵は大津の三井寺と呼応して
宇治川に馳せ参じました。敗れた頼政は宇治の平等院で自害し、
僧兵は敗走し、平家に寺領を没収され衰微していきました。

  嘉祥年間(1235~38)僧達源(たつげん)が再建しましたが、明智光秀の
丹波攻略の兵火で焼失し、その後、江戸時代に願西が本堂・阿弥陀堂・鐘楼を
再建し、天台宗から浄土宗に改めた後、亀山城主松平忠昭が帰依し、
妙心寺の高隠玄厚(こういんげんこう)を招いて中興開山とし臨済宗としたという。


 「 西国薬師霊場第四十三番札所」 になっています。

寺谷川に架かる「みかえりばし」



現在、神蔵寺は亀岡屈指の紅葉の名所として知られ、ライトアップなども行われ ます。
紅葉シーズン  拝観料300円



本堂瑠璃殿





本堂の裏手に薬師堂(収蔵庫)があり、
平安時代作の本尊木造薬師如来坐像(国重文)が保管されています。

明智光秀の兵火の際、本尊と脇侍の日光・月光菩薩を運び出し近くの岩山に隠しました。
こうして難を逃れた薬師如来は1653年に寺が再興された時に本尊として祀られました。
『アクセス』
「神蔵寺」亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ院ノ芝60

℡0771-23-5537 拝観時間 通常9~17時 無休 

JR亀岡駅から、京阪京都交通バス40系統園部駅西口行きに乗車し、
「運動公園ターミナル」でふるさとバスF31、F32、F33、F34系統
「畑野コース」に乗り換え「グリーンハイツ口」で下車、徒歩約20分
バスの運行本数が少ないのでご注意ください
京都縦貫道 亀岡ICから国道372号を湯の花温泉方面に約10分
『参考資料』
「京都府の歴史散歩」(下)山川出版社 「角川日本地名辞典」角川書店 
「京都府の地名」平凡社

 

 

 
 

 

 





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