平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




天王山の中腹にある宝積寺(ほうしゃくじ)は、
竜神から授けられたという「打出」と「小槌」が祀られていることから
宝寺とも呼ばれています。
寺伝によると、724年に行基が開いた山崎橋の橋寺として
開いた山崎院を継いだものといわれています。
真言宗の寺で、本尊は聖武天皇が行基とともに彫刻したという十一面観音です。

仁王門をくぐって左手に室町時代の1519年、大山崎・松田宗誠寄進の
石清水八幡宮別当清水光清の娘、待宵小侍従ゆかりの「待宵の鐘」があります。
歌人待宵小侍従は
♪待つ宵のふけゆく鐘のこゑきけば あかぬ別れの鳥は物かは

と詠んだことから、待宵小侍従と呼ばれるようになりました。
小侍従の旧蹟が近くにあることに因んでの名でしょうが、
恋人が通ってくるのを待ちわびる恋心をお寺の鐘名にするとは粋ですね。

この鐘がある宝積寺に毎年中旬に厄除け追儺式が行われます。
この祭礼は「鬼くすべ」とも呼ばれ、閉め切った本堂内で加持祈祷を行い、
煙の中、桃の弓と蓮の矢で悪魔を退散させ、
大護摩に檜葉をくすべて厄を追い払います。

悪鬼は呉竹に挟んで鴨居に掛けてある5個の餅に写る自身の姿に驚き、
退散するという特異な儀式です。(鏡餅の起源)
行基が始めたとも、朝廷の「おにやらい」を継承したものともいう。















檜葉にいぶされ悪鬼が退散していきます

厄が堂内から出ていったことを知らせる法螺が吹かれます

福餅と散華の花がまかれます



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※宝積寺追儺式・鬼くすべ 例年4月18日 14時より

大山崎町は大阪府に接した町で、天王山と淀川に挟まれた国道R171号、
名神高速道路、西国街道(さかのぼれば古代の山陽道)が通り抜けています。
古くは山城・摂津両国にまたがっている境界の町であり、
都への出入口にあたり交通の要衝でした。

かねて他国から都に通じる山崎・逢坂・和迩(滋賀県志賀町)
大江(老の坂峠)では、陰陽師によって外部から侵入する悪霊・疫病を祓う
四角(隅)四堺(境)祭が行われ、大山崎でもさまざまな祭が行われていました。

10C以降都に疫病が流行る時、山城国の四つの境で疫神(えきじん)を
撃退する祭が行われた。(四堺祭)
「鬼くすべ」は祭文の中に疫神祓がうたわれ、
毘沙門天の代わりに大黒天が出るなど多少形は変わってきていますが、
四堺祭を今日まで受けついだ祭礼のようです。

「近世中期に行事の再編成がすすみ現在見る形になっていったのであろう」と
『歴史ものがたり街道』の中で、高橋昌明氏は述べておられます。

山崎院跡の碑

JR山崎駅から、天王山登山道方面へ歩き、踏切を越えたら
登山道に入らずに右折し、そのままJRの線路沿いに5分ほど進むと、
イチョウの木の下に山崎院跡の石碑が立っています。
『アクセス』
「宝積寺」 京都府大山崎町大山崎銭原1
JR京都線 山崎駅 徒歩約15分  阪急京都線 大山崎駅 徒歩約16分
『参考資料』
「西国街道」向陽書房  1996大山崎町「歴史ガイドブック」大山崎町歴史資料館
「京都学への招待」角川書店 「京都大事典」(府域編)淡交社 「山崎・水無瀬」大山崎町教育委員会
いばらきからみやこへ「歴史ものがたり街道」阪急電鉄株式会社
「京都府の歴史散歩」(下)山川出版社
 







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