兄頼朝に追われる身となった義経は鎌倉方の厳しい追及を逃れて、
どのような経路で奥州平泉に辿り着いたのでしょう。
『義経記』や謡曲『安宅』歌舞伎『勧進帳』では義経一行の
逃走経路を北陸道としています。
義経伝承は北陸地方から能登半島の海岸部にかけて多くあり、
『義経記』には白山比咩神社や金剣宮に詣でたと記されています。
「義経一行は見物しようと立ち寄った越前の平泉寺で危ない目に
あったものの無事難を逃れ、足早に先を急いで加賀の篠原で1泊し、
篠原合戦で斉藤実盛が手塚光盛に討ち取られた首洗い池を見ました。
その翌日、白山社に参詣して白山比咩大神を拝み、
金剣宮では剣権現の神前で夜ごもりをして神楽をたむけました。」
(『義経記・平泉寺けんぶつ』)
金剣宮(きんけんぐう)
古くは剣宮(つるぎのみや)とよばれ、地名「鶴来」の由来となった宮で
白山本宮四社の一つ。境内に「義経腰掛石」があります。
木曽義仲は倶利伽羅・篠原合戦後に鞍を置いた馬20頭を奉納しています。
鶴来の町は、白山本宮四社の門前町がつながりあってできた横に細長い町です。
白山本宮白山比咩神社
白山は石川・福井・岐阜の3県にまたがる大嶺で、御前峰(ごぜんみね)
・剣ヶ峰・大汝峰の3つの峰が集まった休火山です。
奈良時代に福井の僧泰澄が開いたと伝えられ、
霊峰白山をご神体とし、御前峰の山頂の奥宮に白山妙理権現を祀りました。
各地に馬場(ばんば)が設けられ、それぞれから山頂に至る登山道が開かれました。
加賀は現在の白山比咩神社、越前は現在の平泉寺(へいせんじ)、
美濃は現在の長滝白山寺が各馬場の中核となり、平安時代末期に
この三ヶ寺は延暦寺の末寺となりました。延暦寺の守護神日吉大社では
山王七社の一つとして客宮(まろうどのみや)に白山妙理権現を祀っています。
加賀馬場として栄えたのが白山比咩神社を中心とした本宮四社(白山本宮
・金剣宮・三宮・岩本宮)と中宮三社(別宮・沙羅宮・中宮)の白山七社でした。
国府の背後に位置する八寺(八院)涌泉寺・護国寺・隆明寺・昌隆寺・松谷寺
・蓮花寺・善興寺・長寛寺は中宮に属して中宮八院とよばれました。
現在、寺跡を明確に残すものはなく、涌泉寺(ゆうせんじ)も鵜川、
遊泉寺の地名を伝えているだけです。
真向いに迫る船岡山(標高179㍍)
義経腰掛石
『アクセス』
「白山比咩神社」石川県白山市三宮町
北陸鉄道石川線「鶴来駅」下車
駅前から加賀白山バス「瀬女」行き 一の宮下車徒歩5分
バスは1日に数本しか運行していないのでご注意下さい
①鶴来駅から鶴来レインボーラインを通って南へ徒歩55分位
②鶴来駅から県道を南へ徒歩40分位
「金剣宮」石川県白山市鶴来日詰町 鶴来駅から徒歩15分位
「舟岡城跡」白山市鶴来八幡町
舟岡城跡がある舟岡山(標高178m)は白山比め神社がはじめて鎮座した場所。
鶴来レインボーライン八幡町の信号を東へ(手取川側)入り白山比め神社へ向う途中、
舟岡城跡の説明板が目に入りました。
『参考資料』
「石川県の地名」平凡社 「石川県の歴史散歩」山川出版社
高木卓訳「義経記」河出書房