維盛が訪ねた高野山は、人里から遠く離れたところにあり、
内外八葉とよばれる転軸山・弁天岳などの八つの峰に囲まれ、
その有様はまるで巨大な八枚の蓮の花弁のようです。
高野山の歴史はこうした地形に注目した
弘法大師が嵯峨天皇に願い出て寺院を開いたのが始まりです。
『平家物語・巻10』によれば、清浄心院は嵯峨往生院(滝口寺)に
出家遁世していた滝口入道が、横笛への思いを断ち切るために入った寺で、
高野山東部、奥の院の近くにある宿坊寺院です。
開基は弘法大師で、本尊の二十日大師は、入定前日の
承和二年(835)三月二十日の姿を刻んだ像といわれ、
その後、清盛の三男の平宗盛が堂宇を再建したと伝えられています。
ある日、重景、石童丸、武里を供に屋島から抜け出た維盛が、
むかし父重盛に仕えた斎藤滝口時頼(滝口入道)を頼って訪ねてきました。
時頼は十三の年から滝口の詰所に出仕して宮中警護にあたっていましたが、
横笛との恋に破れ、蓮華谷にある清浄心院(しょうじょうしんいん)で
仏堂修行に励んでいました。滝口というのは、
清涼殿の軒下を流れる御溝(みかわ)水の落ち口のことですが、
この詰所に出仕する武士のことも「滝口」とよびました。
境内にあったという滝口入道の草庵は、大正十二年暮れに火災で焼失、
庵の前にあったという井戸は、大円院に移されました。(『カメラ散歩平家物語』)
大円院第8代の住職は滝口入道で、江戸時代まで当院は奥の院近くの
蓮華谷にありましたが、明治21年の大火後、小田原谷の現在地に移転しました。
この井戸には、次のような伝承があります・
横笛が女人禁制の山に鶯となって飛来し、梅の木にとまって思いを囀りましたが、
ついに井戸に落ちて死んでしまいました。入道はその菩提を弔うため
阿弥陀如来を刻んだといい、現在も鶯井・鴬梅を残しています。
寺は秀吉が花見の宴を催したという傘桜で知られています。
沙羅双樹下の平家物語冒頭の一節を記した駒札が
平家ゆかりの寺であることを伝えています。
再会した滝口入道はまだ30歳にもならないのにまるで老僧のようにやせ衰え
都にいたころの華やかさはすっかりなくなっていました。
「これは夢とも、うつつとも覚えませぬ。屋島をどうして
逃れてこられたのでございますか。」と尋ねられ、
維盛は入道にこれまでの悩みを打ち明けます。妻子に会いたいが、
敵に捕らわれて捕虜になることを思うとそれもできないこと、
宗盛殿や二位殿(時子)から「この人は二心ある。池大納言(頼盛)のように、
頼朝と心を通わせている。」などと疎んじられて孤立したこと、
高野で出家して命を絶ちたいと思うことなどを語ります。
頼盛は池禅尼の子で清盛の異母弟にあたり、
六波羅池殿に住み池殿・池大納言とよばれました。
都落ちに際して一門を見限り、頼朝を頼って
都に留まりまもなく鎌倉に下向します。
維盛主従は入道に案内されて高野のさまざまな堂塔・奥の院を巡礼し、
翌日、東禅院の智覚上人を招いて出家します。
ちなみに東禅院は高野山南谷にあった寺院ですが、今は廃寺となっています。
その前に維盛は、自分の死後は都へ帰るよう重景と石童丸に諭しますが、
二人は聞き入れません。しばらくして重景が「わが父与三左衛門景康は、
平治の乱の時、故重盛殿のお供をして悪源太義平(頼朝の兄)に討たれました。
その時、まだ二歳になったばかりの重景を重盛殿が情けをかけて下さり、
この子はわしの命に代わってくれた景康の子であるからと、
大切に育てていただきました。重盛殿ご臨終の時には、それがしを召されて、
「維盛の意に背くことないように仕えよ」と仰せられました。
日頃、君の御大事の場合には、まっ先に命を捧げようと思っていましたのに、
今さら見捨てて去れとは、あんまりなお言葉。ご主君を見捨てるような男と
思っておられたのが悔しいと言いつつ、自ら髪を切り落とすと石童丸も髪を切ります。
維盛は妻子に今一度変わらぬ姿を見せたかったと未練を残しますが、
そうもしていられないので、入道は維盛の髪を剃りおろします。
維盛と与三郎重景とは同い年で、二十七歳、
八歳の年から維盛について可愛がられた石童丸は十八歳でした。
しばらくして、維盛は武里を呼び、屋島に行き一門の人々にこのように申してくれ、
「維盛は世を厭うて出家した。平将軍貞盛から九代の間伝えられた唐皮の鎧、
ならびに小鴉の太刀を、形見に残すので、今後平家の運が開け、
ふたたび都へ帰るようなことがあれば、嫡子六代に渡してほしい。」
武里は涙をおし拭いながら、同じ道にと言いますが、維盛はこれを許しません。
「それでは殿の最期の御ありさまを見届けた後、屋島にまいりましょう。」と言うので、
滝口入道を引導の師とし、一行は高野山を出て熊野に向かいました。
滝口入道と横笛(高野山大円院)
平維盛入水(浜の宮王子跡・振分石)
平維盛供養塔(補陀洛山寺)
『アクセス』
「清浄心院」高野町高野山566 ケーブル高野山駅から南海りんかんバス「一の橋」下車すぐ
『参考資料』
「平家物語」(下)角川ソフィア文庫 新潮日本古典集成「平家物語」(下)新潮社 「高野山」小学館
「和歌山県の地名」平凡社 五来重「高野聖」角川選書 「カメラ散歩平家物語」朝日新聞社