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ただの日記

儒学と儒教

2019年09月15日 | 重箱の隅
 先日、「朝鮮通信使が来た際に近江の儒学者雨森某が~」というのを書いた。
 ~実際、朝鮮通信使が来た時は、確か近江の儒学者だったか、雨森某が教えを乞うていると以前にどこかで読んだ記憶がある。~
 この雨森某、週刊誌の連載コラム「変見自在」に出ていたらしい。
 なるほど、知ってみればこういうことだったのか、と。
 儒学者が「儒教の国」という先入観で以て物を見る。当然、こうなる。
 だが儒学と儒教は違う。
 儒学者は朝鮮を「儒教の実践されている国」として見て、「理想の国」と捉える。
 でも、儒学と儒教は同じものではない。
 儒学は「儒」について考える学問であり、儒学者は「儒」の心を知り、その心のままに生きようとする。
 儒教は「儒」についての教えのままに社会が形成され、その中で生きることを是とする。
 「儒」とは平たく言えば「思い遣り」みたいなものだが、それを自ら考えその精神で生きようとすることと、「思い遣り」の具体例で形成された社会の中で生きることは正反対のものだ。
 「その精神で生きよう」というのは「自由(自らに由る)」そのものであって、「具体例で形成された社会の中で生きる」ことは「不自由」そのものだから、だ。
 「共産主義思想」と「共産主義国家」も、雲泥の差ながら、同じ仕組みだ。
 
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たかるだけの国
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  高山 正之 
 儒学者、雨森(アメノモリ)芳洲を一言で言えば「元禄期の若宮啓文」となるか。
 若宮とは朝日新聞の主筆だった人。北京のホテルで変死したことと「いっそ竹島を韓国に譲って友好の島にしよう」と書いたことで人々の記憶に残っているかも知れない。
 とにかくあの国が好きだった。そんな狂気に嵌るきっかけは生の金日成に会ったことだ。社に戻るなり願い出てソウルに語学留学に出かけた。
 そのあとはもう韓国贔屓のネタばかり書いた。
 1995年には、日本開催が決まっていたサッカーW杯を「韓国と共同開催にせよ」と社説に書いた。
 朝日に盲従する宮沢喜一がそれに頷いてまさかの共同開催になった。
 しかし韓国にW杯をやれる体力はなかった。
 決まってすぐのアジア通貨危機では国自体がデフォルトに陥ってしまった。
 若宮が騒ぎ、FIFAの鄭夢準も走り回り、結局は日本が財政支援した。
 それだけじゃない。閉会直前に9・11テロが起きてそれに伴う不況のさざ波で競技場を建てるカネもなくなった。
 やっぱり共催は無理となったところでまた若宮が騒ぎ、旧日本輸銀が2億ドル融資を強いられた。
 かくて開催されたものの韓国人のラフプレイと審判買収で「最も汚いW杯」の汚名だけが残った。
 若宮は韓国と同じくらい女にも入れ揚げた。その醜聞を手土産に退社後、念願の韓国の大学の先生に納まった。変死するまではいい人生だった。
 雨森芳洲は男色という一点を除いて若宮の祖先かと思われるほど、その人生の軌跡は似ている。
 彼は20代で対馬藩に抱えられ、33歳のとき釜山の倭館に派遣されて生の朝鮮を見た。若宮が金日成に会ったのと同じ歳頃で、同じようにのめり込んでいった。
 その頃の李氏朝鮮は貧困の極みにあった。だから徳川将軍の代替わりがあると総勢400人の通信使がお祝いと称して押しかけてきた。
 彼らは丸一年も逗留して遊興に耽り、貧しいから宿の食器から寝具、床の間の掛け軸までかっぱらっていった。
 老中格の新井白石はそんなたかり集団に厳しく、接待費も旅程も半減するよう命じた。ついでに徳川将軍を「日本国王」とよいしょするように朝鮮側に求めた。幇間並みに扱った。
 このとき通信使の接待役が芳洲だった。
 朝鮮人に生まれたかったと、若宮と同じ思いを語っていた芳洲は白石の処置に怒りまくった。
 二人の応酬はホントに激しかったが、誰が見ても白石の言う通りだった。
 最終的に幕府は朝鮮側にもう江戸まで来なくていい、対馬で接遇すると伝えた。世にいう易地聘礼(エキチヘイレイ)だ。
 二代秀忠から十代家治までたかりまくった通信使は1811年の対馬での質素な供応を最後に二度と来なくなった。
 先日の天声人語がこの雨森芳洲を取り上げていた。
 今の日韓のいざこざを踏まえ「威信や体面にこだわる両国の間で板挟みになった」芳洲が半白になるほど苦労したと書き出す。
 いや日本は体面などどうでもいい、大所帯で押し掛けて、接遇に100万両もかかるたかりをやめてくれと言ってるだけだ。
 コラムは「日本国王」の件にも触れて「国威を高めることに執着した」と冗談も理解できない。ホワイト国外しをした安倍政権をあてこすった気になっている。
 それに通信使側はたかっておきながら「穢れた獣のような日本人が富栄えるは嘆くべし恨むべし」(金仁謙『日東壮遊歌』)と感謝の気持ちもない。デフォルトを救ってやったときと同じだ。ここは誰もが白石の対応を褒めるだろう。
 コラムは最後に「互いに欺かず争わず真実をもって交わること」という芳洲の言葉で結ぶ。
 それは日本が百歩も譲って呑んでやった慰安婦合意を踏みにじり、カネだけ失敬するような国に言い聞かせる言葉だ。
 日本人の読む新聞に載せるのは失礼ってものだ。
 出典:『週刊新潮』2019年9月19日号 【変見自在】たかるだけの国
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 松本市 久保田 康文さん採録 
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